20240428 東淀川教会宣教要旨 マタイ福音書13章

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聖書箇所

マタイによる福音書13章 31−32節
また、別のたとえを彼らに示して言われた。「天の国は、からし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔くと、
どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」

マタイによる福音書13章 44-46節
「天の国は、畑に隠された宝に似ている。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をすっかり売り払い、その畑を買う。
また、天の国は、良い真珠を探している商人に似ている。
高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。

宣教要旨「天のくに」

天の神さま、天のくに、など神を「天」(てん)で表現する感覚は、一定の土地に暮らす人々からではなく、星や月を見ながら移動した民、遊牧民、縄文人などから生まれた表現と思われます。「天の国」表現はマタイ福音書のみに残されていますが、天の下の、地上や海を移動していた遊牧民や移動の民に共通の感覚だったと思われます。イエスもまた万民に共通の「天」で表現していたと思われます。

「国」という国境に囲まれ一つの政府を中心としたところ、ではない、人々の住んでいる、立ち寄っている人にとっての「くに」邦? 邑? という意味でタイトルをひらがな表記にしました。

からし種の譬えは、神、天の恵みは、人間が決して推し量ることができないこと。

畑に隠された宝という喩えは、貧しい、農地の持ち主に雇われた使用人でしょう。その土地から見つかった宝は土地所有者のもの、などという社会通念なんぞは無視して宝を深く埋めて隠し、持ち物を売り払い、どんな手を使ってでもなんとかして畑を手に入れ、宝を手に入れようとする、そのためだったら死んでもいい、と思える宝とは、出会った土地や環境かもしれません。出会った人かもしれません。愛する人かもしれません。

良い真珠とは、不思議な、息をのむほど美しい自然からの恵みを表しているのでしょう。いずれも「かけがえのないもの」こそ「天のくに」なのです。

 

 不知火海漁師 水俣病患者、杢太郎爺のことば(石牟礼道子氏聴取)
 あねさん(石牟礼道子)、魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。これより上の栄華の、どこにゆけばあろうかい。寒うもなか、まだ灼け焦げるように暑うもなか、夏の初めの朝の、海の上でござすで。水俣のほうも島原のほうもまだモヤに包まれて、そのモヤを七色に押し広げて日様(ひいさま)の昇らす。ああ、よんべはえらい働きをしたが、よかあ気色になってきた。かかさまよい、こうしてみれば空っちゅうもんは、つくづく広かもんじゃある。空は天竺までにも広がっとるげな。この舟も流されるままにゆけば、南洋までも、ルソンまでも、流されてゆくげなが、唐の国じゃろと天竺じゃろと流れてゆけばよい。いまは我が舟一艘の上だけが、極楽世界じゃのい。こんなふうに語りおうて、海と空の間に漂うておれば、よんべの働きにくたぶれて、とろーりとろーりとなってくる。するうちひときわ涼ろしか風のきて。
さあ、かかよい、醒めろ、西の風の吹き起こらいたぞ。帆を上げろ。この西の風が吹けば不知火の海は、舟の舳先はひとりでに恋路島のほうに向きなおる。腕まくらで鼻は天さね向けたまま、舵をあつかううちに、海の上にひらける道に連れ出され、舟はわが村の浦に戻り入ってくるとでござす。
 婆さまよい、あん頃は、若かときゃほんによかったのい。
なあ、あねさん、わしどもが夫婦(みょうと)というもんは、破れ着物は着とったが、破れたままにゃ着らず縫うて着て、天の食わせてくれらすものを食うて、先祖さまを大切に扱うて、神々さまを拝んで、ひとのことは恨まずに、ひとさまのすることを喜べっちゅうて、暮らしてきやしたばい。

 地上の世界、すべてのものといのちを包む「天」を、万民に共通の「神」と感じ取るこころを取り戻そうではないか、とイエスは語っておられると思うのです。

※1908年明治41日本窒素水俣工場操業 1927年s2石牟礼道子誕生 1932年s7有機水銀放出 1956年s31水俣病発生確認 
1959年s34漁民暴動 工場関連従業員・受益者と漁民たちが分裂 1962年s37組合分裂 支援組織分裂 水俣工場は交渉に応じず
1971年s46自主交渉派 チッソ東京本社直接交渉座り込み 
1995年平成7緒方正人・石牟礼道子ら(本願の会)発足  
村山富市首相が救済遅延に陳謝

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