20180325宣教要旨「生かす律法・殺す律法」

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Isaiahイザヤ書58章1-3節
彼らは言う、『われわれが断食したのに、なぜ、ごらんにならないのか。われわれがおのれを苦しめたのに、なぜ、ごぞんじないのか』と。見よ、あなたがたの断食の日には、おのが楽しみを求め、その働き人をことごとくしえたげる。
Matthew マタイ福音書9章14-17節
するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう。
宣教要旨(生かす律法・殺す律法)
律法を守ることを第一とし、それによって更に神に近づこうと律法を厳格に守り、熱心に断食し、神にその報いを求めつつ、熱心でない者たちを責め、他の人々に重荷を負わせる「律法主義者たち」が中心であったイスラエル。熱心な宗教者であり、ユダヤ教の指導者である彼らが、神の御心から実は離れていることを語り、神はイザヤに「彼らの罪を告発せよ」と語られる。
イエスの元に来たヨハネの弟子たちもまた熱心に断食していた様子。「神に近づくための厳しい修行でもある断食を師匠であるヨハネも、他の指導者たちもしているのに、イエスの弟子たちはなぜしないのか」と問いかけています。
イエスが語られた花嫁と花婿のたとえ話「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう」とは何なのでしょう。
花婿をイエスと看做し、花嫁を弟子たち、イエスのことばに耳を傾けている人々、として「やがて花婿であるイエスが取り去られる時が来る。その時は弟子たちや福音を聞いた人々は断食する」というように解釈されることが多いように思います。それは「あとからの」解釈と思うのです。
ここで前提になっている花嫁とはイザヤが指し示す「シオン」、理想的な神の都、終末的な神の都が前提になっていると思われます。心と体の飢餓に苦しみ、まことに父なる神の救いを求めるしかない民たちこそシオンの娘。イエスのたとえ話の中でも「やもめ」の譬えが多いが、そこに「シオンの娘」のイメージが重なっていると思うのです。「シオンの娘(ベノーット・ツィヨーン)」が今「福音」「ともに食べ物、生きる糧を分かち合う喜びの中にいる。それが婚姻の席の譬えなのでしょう。ともに糧を分かち合う、神ともにいます席がなくなれば、断食せざるを得なくなる…。古い布きれや古い葡萄酒の譬えは、「法」を個々の情況、現在という状況を超えた普遍的なルールとして上から下へ押しつける(イエスの時代の神殿政治)ものであれば、「シオンの娘」を殺す法となり、苦しみのどん底にあるシオンの娘と食べ物を分かち合う、体と心の飢餓から救う「福音」を聴くときそれは「生かす法」となる、というメッセージだと感じるのです。

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