東淀川教会20180401礼拝 復活祭・イースター申命28:2-4ヨハネ21:10-13「復活とは」司式:金田恆孝

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礼拝worship
前奏prelude~招詞invitation~讃美hymn~主の祈りLord’s Prayer~使徒信条Apostles Creed ~交唱alternately Pray~Bible~讃美hymn~Message~讃美hymn~
聖餐式Holy communion~Thanks hymn~献金 donation~頌栄doxology~祝祷Benediction

4月の聖句(招詞invitation)
イエス・キリストは言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」ヨハネ20:21
Jesus therefore said to them again, Peace be unto you: as the Father hath sent me, even so send I you.

(申命記28:2-4)

もし、あなたがあなたの神、主の声に聞き従うならば、このもろもろの祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。あなたは町の内でも祝福され、畑でも祝福されるであろう。またあなたの身から生れるもの、地に産 する物、家畜の産むもの、すなわち牛の子、羊の子は祝福されるであろう。

主イエスの「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」MK1:14とは、申命記の語る「神の方からひとり一人に向かって近づいて、いまここに差し出されている祝福に戻ろう」とのメッセージにそのまま重なると思います。別の言い方をすれば、「自分で生き る」道から、「神に生かされる」道への転換を求める呼びかけです。

死んだらどうなる? どこへ行く? 何もなくなる? 死後のことについては何かと心配するのに、 生前、このいのちはどこから来たか、ということに悩む人はほとんどいない。どちらも不知なら、一方だけ悩むのも変。
「復活」とは、この世の生命から、死という「非生命」に移され、その「死」からこの世の生命に よみがえる=復活、というこの世中心の、生きている私たち側のイメージがどうしても思い浮かびま す。
「復活」したイエスのイメージはどのように伝えられているのでしょう。

(ヨハネ福音書21章10- 13節)

イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。

十字架のあとの出来事です。そこに現れたのは、肉としてのイエスではなかったが、弟子たちはイエスとわかっていた、というのです。そのイエスと、昔のように朝の食事を一緒にするのです。魚153匹については数字の謎とか、様々な密教的探求がなされていますが、初期からあった理解、すなわち、当時地中海に生息して知られていた魚の種類は153種であった、という理解で十分だと思われます。魚に象徴された、「食べよ、生きよ」と神さまから差し出されている恵み全てを意味し、また「人を漁る者たれ」のメッセージから考えれば、153の、全ての民族に向けられている福音、という意味として理解していいのだろうと思います。『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。
前に言われたとおり、そこでお会いできます。』(マルコ16章7節)“昔のように、今もなお、これからもずっと”ガリラヤからの旅に私たちを誘ってくださっています。「一緒に神さまからの祝福、恵みに生かされる旅」です。この旅に参加できる喜びを一緒に喜ぶのが「イースター」なのです。

◎先週の出来事
アニメ「ちびまるこちゃん」を用いたイベントポスターのメッセージ“ともだちに国境はない”に噛
みついた国会議員がいた。「国境とか国を馬鹿にしている!」と。すべての人間を愛するよりも、特
定の国や国民のみを愛することが絶対的真理なのでしょう。これって「カルト的熱狂」でしょうか。

 

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