東淀川教会20180318礼拝 民数30:2マタイ5:32-37主題「誓わされてはならない」司式:金田恆孝
礼拝worship
前奏prelude~招詞invitation~讃美hymn~主の祈りLord’s Prayer~使徒信条Apostles Creed ~交唱alternately Pray~Bible~讃美hymn~Message~讃美hymn~
聖餐式Holy communion~Thanks hymn~献金 donation~頌栄doxology~祝祷Benediction
3月の聖句(招詞)
イエス・キリストは「成し遂げられた」と言われた。ヨハネ19:30
When Jesus therefore had received the vinegar, he said, It is finished: and he bowed his head, and gave up his spirit.
Numbers民数記30-2
もし人が主に誓願をかけ、またはその身に物断ちをしようと誓いをするならば、その言葉を破ってはならない。口で言ったとおりにすべて行わなければならない。
Leviticusレビ記19-12
わたしの名により偽り誓って、あなたがたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。
5-32 | but I say unto you, that every one that putteth away his wife, saving for the cause of fornication, maketh her an adulteress: and whosoever shall marry her when she is put away committeth adultery. | しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。 |
5-33 | Again, ye have heard that it was said to them of old time, Thou shalt not forswear thyself, but shalt perform unto the Lord thine oaths: | また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 |
5-34 | but I say unto you, swear not at all; neither by the heaven, for it is the throne of God; | しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。 |
5-35 | nor by the earth, for it is the footstool of his feet; nor by Jerusalem, for it is the city of the great King. | また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。 |
5-36 | Neither shalt thou swear by thy head, for thou canst not make one hair white or black. | また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。 |
5-37 | But let your speech be, Yea, yea; Nay, nay: and whatsoever is more than these is of the evil one. | あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。 |
Matthewマタイ福音書5章32-37節
宣教要旨(It shall not be sworn)誓わされてはならない
その人に切実な祈り、願いがあり、その実現のため大きな自己犠牲や節制を自分に課すことはまま
あること。例えば断食をし、精神の集中度を高め、心身共に戦闘態勢となって、祈りの実現を妨害す
るものと対峙する。神仏に祈るのは、願いを実現することを神仏に委ねるのではなく、妨害するもの
との戦いを神仏に見ていてほしい、という動機が中心であり、実現のための責任を神仏に負わせるこ
とではない。
「もし人が主に誓願をかけ、またはその身に物断ちをしようと誓いをするならば、その言葉を破って
はならない。口で言ったとおりにすべて行わなければならない。」民数記30:2 とは、「自分に対す
る約束を破ってはならない」の意味であり、神に対する約束ではない。神に対する約束などはしては
ならないのである。
「わたしの名により偽り誓って、あなたがたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。」レ
ビ記19:12 は、「神に対する約束」を戒めている言葉である。が、自分の傲慢さに気付かない人は
「これだけの捧げ物をしたのだから、これだけの自己犠牲をしたのだから、神仏はその代償として私
の願いを叶えなければならない」と訴えることがある。
イエスの時代、「神殿」が今日で言うところの「行政」「役所」の役割を行い、神殿税(税金)を
納めさせるために、罪人と定められないための生け贄(献品)や、正しい者とされるための「誓願」
を立てさせて「誓願料」を納めさせるなどの神殿による「収奪」が頻繁に行われていた。
誓願を立てさせる者は、「人々に大きな重荷を負わせ、負わされ苦しむ人に指一本ちからを貸そう
とはしない」人々である。そんな誓願を立てさせられる人々に向けて「誓ってはならない」「誓わさ
れてはならない」とイエスは呼びかけられていると思われる。
人はそもそも、明日の自分をすら約束できない。明日も生かされているかどうかも分からない。自
分自身に対しても「約束」できる存在ではない(自分の髪の毛一本白くも黒くもできない)、ひたす
ら今を辛うじて「生かされている受動的な存在」でしかない。主に対し語れることばは「然り」か「
否」であるべき、とはそういうことなのだ。
○先週の出来事
◎国会が混乱し、国家の威信が揺らいでいる時に、オーム真理教関連の「死刑囚」たちが、死刑執行
の出来る拘置所へと移送されている。「いのちを処分できる権限」執行は国家の威信保持に役立つの
か。