東淀川教会 20180513礼拝 民数20:9-12 マタイ5:10-12 主題「たったひとことで」宣教:金田恆孝

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5月の聖句
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。ヘブル11:1
Now faith is assurance of things hoped for, a conviction of things not seen.

旧約聖書 Numbers 民数記20章9-12節
モーセは命じられたように主の前にあるつえを取った。
モーセはアロンと共に会衆を岩の前に集めて彼らに言った、「そむく人たちよ、聞きなさい。われわれがあなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのであろうか」。
モーセは手をあげ、つえで岩を二度打つと、水がたくさんわき出たので、会衆とその家畜はともに飲んだ。
申命記Deuteronomy 32章49-51節
「あなたはエリコに対するモアブの地にあるアバリム山すなわちネボ山に登り、わたしがイスラエルの人々に与えて獲させるカナンの地を見渡たせ。
あなたは登って行くその山で死に、あなたの民に連なるであろう。あなたの兄弟アロンがホル山で死んでその民に連なったようになるであろう。
これはあなたがたがチンの荒野にあるメリバテ・カデシの水のほとりで、イスラエルの人々のうちでわたしにそむき、イスラエルの人々のうちでわたしを聖なるものとして敬わなかったからである。
新約聖書  マタイによる福音書5章10-12節
5-10 Blessed are they that have been persecuted for righteousness’ sake: for theirs is the kingdom of heaven. 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5-11 Blessed are ye when men shall reproach you, and persecute you, and say all manner of evil against you falsely, for my sake.
わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
5-12 Rejoice, and be exceeding glad: for great is your reward in heaven: for so persecuted they the prophets that were before you.
喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

応唱 我らの祈り(Our pray)
(司会者)
全ての始まりΑアルファであり 終わりΩオメガであり 唯一onlyであり 全てallであり 今の主であり永遠の主であり 神の息から始まり神に帰る「いのち」の主であり
全ての闇を照らす まことの光である神さま
(会衆)
『聖なる 聖なる 聖なる主よ』 ×3回 (holy)

(司会者)
聖母マリアを通して我らに与えられた救い主キリスト・イエス その十字架の元に集うことができたことを感謝致します
(会衆)
『主の恩寵(おんちょう)に感謝』×3回 (grace)

(司会者)
私は「言葉」と「思い」と「行い」によって多くの罪を犯し 更に心を頑なにし 傲慢であったこと そして 自分自身を愛する如く 隣人を愛せなかったことを告白致します
(会衆)
『我が罪を赦し給え』×3 (forgive my sins)

(司会者)
主の求める生け贄は打ち砕かれたこころ 主は悔い改め 帰ってきた放蕩息子を受け入れ あなたの御国を思い出した盗賊を捨てられず 罪を告白した者を友とし
汚れた心を洗い 新しい霊を注いでくださいました 主のあわれみに感謝します
(会衆)
『主よあわれみ給え キリストよ あわれみ給え』×3回(Mercy)

(司会者)
いと高きところに栄光神にあれ 地にある神の民に平和あれ 我らの主 天にいます主 全能の父なる神よ  神の一人子 救い主キリスト・イエスよ
神の御ちからであり 神の息である聖霊よ あなたを崇め あなたに感謝し 讃美します
(会衆)
『グローリア グローリア グローリア』 (gloria)×3回 Amen Amen Amen

 

宣教要旨「たった一言で」
責められ、わずかな不備をなじられ、満座の場で嘲笑され、闇から石を投げられ、最愛の者をも迫害される…しかもそれが、身と心を注ぎだし、報いを望まず支えてきた者たちからの仕打ちであったなら、誰がその心ない仕打ち・攻撃に喜んでいられようか…。それでも主が彼らを支えよ、と命じられるなら、「なんでこんな奴らのために仕えねばならないのか!」とぼやくのは人間として当然ではないか…
神に呼び出されてイスラエル人をエジプトから導き出したのに、人々は食料や水が少ないことでモーセを責め続けた。ツインの荒野、メリバテガシュで主に言われるまま岩を叩き、水を出した。 「Hear now, ye rebels; shall we bring you forth water out of this rock?」「叛徒よ、何でおまえ達のために岩から水を湧き出させなければならないのか!」と言ってから岩を叩いたと。この時『聖なる神があなた方や動物たちのために与えた水である。』と言わなかったことを神から責められ、ネボ山からカナンの地を望みながら、モーセはカナンの地に入ることを許されず、ここで死ぬことを知らされる。
この世の強いちからにおもねず、神の国を求める人々が迫害されるときは、喜び喜べ、とイエスは言う。この世での迫害は困ったものではあるが、それ以上に、神の国の「義」が迫っているからだ、神の義が明らかになっているからだ、とイエスは言う。
核爆弾や最新兵器で相手を脅しながら軍事国家の「つばぜり合い」が進む中、日本においても「棄民政策」がますます進行し、民への「家畜化政策」も進んでいる。国家の悪政をあげつらう前に、「神の国」の義が今、立ち現れていることを、どう喜び、世にどう明らかにしていくべきなのだろうか。

礼拝終了

先週の出来事
◎北朝鮮に制裁ばかりを叫び、対話の姿勢を示さない日本に対し、朝鮮中央通信は「拉致は解決済み」と報じた。日本のリーダーは、振り上げた拳の下ろし方がわからなくなっている?

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