20190331 東淀川教会礼拝
2019年3月31日 受難節第3主日礼拝
旧約聖書 イザヤ書35章3-6節
35:3あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。
35:4心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。
35:5その時、目しいの目は開かれ、耳しいの耳はあけられる。
35:6その時、足なえは、しかのように飛び走り、おしの舌は喜び歌う。それは荒野に水がわきいで、
さばくに川が流れるからである。
新約聖書 マタイ福音書11章1-6節
11:1イエスは十二弟子にこのように命じ終えてから、町々で教えまた宣べ伝えるために、そこを立ち去られた。
11:2さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、
11:3イエスに言わせた、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。
11:4イエスは答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。
11:5盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。
11:6わたしにつまずかない者は、さいわいである」。
聖書から聴く 主題「奇跡」
ユダヤ人の歴史家であるフラウィウス・ヨセフスによって書かれた古代ローマ帝国側資料「ユダヤ戦記」にはイエスについての記載はないが、 『ユダヤ古代誌』第XVII巻3章3節(通算第63-64節)にわずかだが記載が残っている。
(第63節)さてこの頃、イエスス(イエス)という賢人 — 実際に彼を人と呼ぶことが許されるならば — が現れた。彼は奇跡を行う者であり、また、喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。そして多くのユダヤ人と少なからざるギリシア人とを帰依させた。彼こそはクリストス(キリスト)だったのである。
(第64節)ピラトス(ピラト)は、彼が我々(ユダヤ人)の指導者たちによって告発されると、十字架刑の判決を下したが、最初に彼を愛するようになった者たちは、彼を見捨てようとはしなかった。すると彼は三日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。既に神の預言者たちは、これらのことや、さらに、彼に関するその他無数の驚嘆すべき事柄を語っていたが、それが実現したのである。なお、彼の名にちなんでクリスティアノイ(キリスト教徒)と呼ばれる族は、その後現在に至るまで、連綿として残っている。
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そこでイエスを【奇跡を行う者】であり、彼こそイスラエルが待望してきたメシアであるとの記載がある。
イザヤ書での奇跡についての記載
その時、目しいの目は開かれ、耳しいの耳はあけられる。
その時、足なえは、しかのように飛び走り、おしの舌は喜び歌う。
バプテスマのヨハネが派遣した弟子の問いに、
11:4イエスは答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。
11:5盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。」と、ありありと今奇跡が行われていることをイエスは淡々と語る。
今、現代社会はこのような「奇跡」を奇跡と感じるだろうか。
今、ここに集っている私たちが祈り求める「奇跡」とは何なのだろうか。今、私たちが取り戻すべき祈りとは何なんだろうか。
その「いのり」から教会の礼拝のあり方を求めていきたい。
○先週の出来事(気になるニュース)
内閣府が3月29日した、中高年の引きこもり数が61万3000人というニュース。しかも4分3は男性。自殺者数年間2万人、行方不明者年間8万5千人。
まるで「きれいっぽい病院内で衰弱死を待つ老人」みたいな世相なのだろう。