20190407 東淀川教会礼拝 

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2019年4月7日 受難節第5主日礼拝

旧約聖書  Jonah ヨナ書3章1-6節
時に主の言葉は再びヨナに臨んで言った、「立って、あの大きな町ニネベに行き、あなたに命じる言葉をこれに伝えよ」。
そこでヨナは主の言葉に従い、立って、ニネベに行った。ニネベは非常に大きな町であって、これを行きめぐるには、三日を要するほどであった。ヨナはその町にはいり、初め一日路を行きめぐって呼ばわり、「四十日を経たらニネベは滅びる」と言った。そこでニネベの人々は神を信じ、断食をふれ、大きい者から小さい者まで荒布を着た。このうわさがニネベの王に達すると、彼はその王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座した。

新約聖書 Luke ルカ福音書10章8-15節
どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えてくれるなら、前に出されるものを食べなさい。そして、その町にいる病人をいやしてやり、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。 しかし、どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えない場合には、大通りに出て行って言いなさい、『わたしたちの足についているこの町のちりも、ぬぐい捨てて行く。しかし、神の国が近づいたことは、承知しているがよい』。 あなたがたに言っておく。その日には、この町よりもソドムの方が耐えやすいであろう。わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちの中でなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰の中にすわって、悔い改めたであろう。しかし、さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。
 聖書から聴く  主題「滅んじゃうよ!」
ヨナさん。箸より重いいものを持つのがいやで、怠け者で、どうせ文句を言われるから長く働くのも嫌いで、一カ所で生活していたら飽きてきて、旅に出たり放浪したり。自分からしゃべるのも面倒で、何かを言われても軽く冗談で流して話を打ち切り、フラフラ生きているので、「フーテンのヨナさん」と呼ばれていたんじゃないだろうか……。わたしのヨナさんのイメージはそんな人物像です。そんな「世捨て人」みたいな人ですが、どこか遠くから心の底に語りかけてくる声を聞き続け、返事をしたり、反論したり、お願いをしたり、考えたりと、「対話」を続けていたようです。それは決して無視できない、耳を塞げない、「聖霊の声」としか他に言いようのない声でした。ヨナさんに聖霊から「人を困らせ病ませ弱らせている町があるから、この町は神さまに滅ぼされるぞ、と告げなさい」との指示があったのですが、そんなことしたらどんなひどい目に遭うか想像できたので、「そんなん無理!」とばかりに逃げ出すのです。……大魚の腹の中に飲み込まれて死の淵をさまよったあと、悔い改めて聖霊の声に従って“悪のニネベ”の町で滅びを町中で宣告しましたが、なんとニネベの町は、あろうことか悔い改めてしまって、神が滅ぼすことをやめたので、ヨナさんの面目丸つぶれだった、という記録です。
イエスが働く仲間に、行った先々の町での心得を語る場面で、「聴く耳を持たない人々に語っても無駄(豚に真珠)だから、ここの汚れを他にもって行くべきではない、というメッセージや、サンダルの底の汚れを払い落として、決別しなさい」という言葉はとても心に残ります。さてさて、現代ですが、弱い者、病んでいる者を量産している、格差がどんどん広がっている社会ですが、強い力や金やライフラインに守られていると思っている多数派はイエスの仲間たちの声には決して耳を傾けないのでしょう。
○先週の出来事(気になるニュース)
新年号が「令和」ではなく「西暦」になったら、どんなにいいだろう!と願いましたが、“時代は天皇とともにある”という「信仰」のPRはとっても強いもので、異論を挟む余地なし、といった雰囲気が醸し出されています。

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