20190519 東淀川教会礼拝 宣教「家族が敵になるとき」要旨 

Pocket

このエントリーをはてなブックマークに追加

復活後第四主日 Praise1.546(聖なるかな) hymn1..97 朝日は昇りて hymn 1.181 御霊よくだりて
hymn1.324 主イエスは救いを .Holy communion0.79御前に我ら集い

旧約聖書 創世記12章1-4節
1 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。
2 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。
4 アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。

新約聖書マルコ福音書3章20-22節
3:20群衆がまた集まってきたので、一同は食事をする暇もないほどであった。
3:21身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。
3:22また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。

聖書から聴く 主題「親族が敵となる、親族からは離れるべき時」
アブラハムの旅立ちは生まれ故郷と親族を離れることから始まった。“あなたをのろう者をわたしはのろう” の記事に、故郷、部族、親族の間に「呪い」があり、それが親族からの離脱を促したのではないかという想像が動き出す。もしそこに呪い呪われる反目が生じていたなら、それはどのようなものだったのだろうか。元来の移動民、遊牧民の子孫であったが、メソポタミア地方で定着・定住の生活が始まり、どこかの国や地方の村に従属する生活だったと思われる。神はアブラハムに、従属する国、定住していた地方を離れ、旅立ちを促す。本来の移住生活・遊牧生活(ベドウィン)へと戻るよう促した、とも理解できる。アブラハム75歳の旅立ち。

イエスのもとに多くの人々が続々と集まって(集結して)きたとき、為政者たち、支配者たち、神殿を中心としたユダヤ教の指導者達にとってその一群はとても危険なものとして理解していたと思われる。いわば危険なカルト集団のように警戒されたと想像できる。国の治安を乱す危険人物・集団とみなしたとき、中心人物を「狂人」と見做し、家族や親族を使って捕まえさせ、どこかに禁めさせる、今日であれば精神病院に収容させる、それによって集団を解散させる、という策動、陰謀が起こるのは齋の時代も同じ。“身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。”身内の者とは、イエスの兄弟たちであろうか。そこには家族や親族間の“呪い”が生まれていたのだろうか。
ほんの短い一節だが、そんな事件があったことをマルコ福音書は伝えていると思われる。

国の為政者達が、国家のピラミッド型秩序を乱す者として、直接逮捕や捕獲して強制入院に動けば、中心人物を尊敬している人々から猛反発を受けるだけではなく、一般の人々からも、権力者達による一方的な横暴として非難されかねない。そこで自分たちは直接手を下さずに、親族・家族を使って彼らに親族の責任において「処分」させようとするのは為政者の知恵なのだろう。そのとき用いられる攻撃の根拠は、サタン・ベルゼブルに取り憑かれている、悪霊の親分が悪霊の力を使って仲間を追い出しているだけだ!という心理誘導だった。それに対して、「ピラミッドの頂点にいる支配者達、権力者達、財力者たちは決して互いを排除しないよう、国の秩序を守るため、互いの利権を守り合うために争わないではないか。サタンがサタン同士互いに争ったら、サタンの国が滅んでしまうだろ?サタンだってそんなことしない!」というユーモアあふれた切り返しに、支配者への追従者も黙らざるを得なかったのだろう。
イエスの元に母や兄弟たちが訪ね、弟子がその来訪を告げたとき、「私の母とは、家族とは誰か。私の家族はここにいる人々である」と答えた(ルカ福音書8章19-21節)の背景にはこういった権力者達の謀略や、彼らが生み出した「呪い」があったことを伺わせる。

○先週の出来事(気になるニュース)
千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(10)が虐待を受けて死亡したとされる事件。子が生まれ親になっても親になれず、かといって他人にもなれず子を守ることを疎んじて虐待したケースはたしかにある。あるいはそこまで追い詰められていた親の背景があったのかもしれない。しかし子が勇気をもって「被害」を訴えた場合、これを第一に扱うべきは、調査権のない、犯罪性を明らかにできない児童相談所ではなく、訴えを聞いた大人が子の訴えを代弁し、被害届を警察に出し、それに基づいて被害と加害の関係を調べるのは、やはり警察なのではないか。あるいは「子」の裁判を受ける権利も保障されるべきではないか。
 

 

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です