20190512東淀川教会礼拝 イザヤ42:1-7 マルコ3:7-12 

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 旧約聖書 イザヤ書42章 1-7節
わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国びとに道をしめす。 彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。海沿いの国々はその教を待ち望む。天を創造してこれをのべ、地とそれに生ずるものをひらき、その上の民に息を与え、その中を歩む者に霊を与えられる主なる神はこう言われる、「主なるわたしは正義をもってあなたを召した。わたしはあなたの手をとり、あなた
を守った。わたしはあなたを民の契約とし、もろもろの国びとの光として与え、盲人の目を開き、囚人を地下の獄屋から出し、暗きに座する者を獄屋から出させる。

新約聖書 mark マルコ福音書3:7-12節
それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、「あなたこそ神の子です」と言った。イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた。
マタイ福音書12章19-21
彼は争わず、叫ばず、またその声を大路で聞く者はない。12:20彼が正義に勝ちを得させる時まで、いためられた葦を折ることがなく、煙っている燈心を消すこともない。異邦人は彼の名に望みを置くであろう」。

 聖書から聴く 主題「イエスをカルトのリーダーに仕立てる人々
 おびただしい群衆がイエスの言葉を聞こうと集まってきた。しかし聴くよりも、むしろイエスに触って悪霊を追い出していただこうとする、直接触ってもらうことを目的とする病んでいる者も多かった。
汚れた霊どもはイエスに仕掛けをした。病んでいる人々を扇動してイエスのもとに走らせ、「彼こそ神の子だ!」と叫び、イエスを難民・熱狂集団を組織化(セクト化)させ、そのカリスマ・王・メシアに仕立てようとする企てだったのだろう。“イエスよ、あなたに依存し従属しようとしている、この悪霊に取り憑かれた数多の難民・群衆から我々悪霊を追い出し、まとめていっぺんに治してみよ!”という悪霊のメッセージが聞こえてきそうだ。イエスのエネルギーを吸い尽くすが如く「神の子よ!」と叫びながら押しかけてくる人々に向かって、自らを「我は人の子」と言い続けたのはこのためだろう。
 イエスの行動を「戦い」と理解しようとするならば、それはイエスをリーダー、頂点として集まってくる人々を教団(セクト)化し、イエスと敵対するセクト、権力者や社会秩序・宗教指導者、納税を強いてくるお上と戦うようなものではなく、一般ピープルが(弟子すらも)顔を背ける、どん尻の、生きづらさを背負わされているしんがりの個々の人を守るための戦いだった。 「癒し」とは、一人一人の肉体と魂に向かい合い、その人が神との関係を取り戻すことであり、神によってのみ生かされる新たな旅立ちを促すこと。それは預言者イザヤらが語り継いだメシア・救い主の姿でもあった。人々の往来する大路で、大声で語りかけるメシアではなく、多くの人々から離れたところで、救いを求める魂に静かに語りかける声であり、それぞれに適った癒やしのわざであり、それは弱っている細い「芦」を折ることなく支え、苦しんでくすぶって消えかかっているいのち、灯芯を消すこともない、激しいが、しかし静かな癒やし=再生のわざ。しかも選民意識の色濃いイスラエル民族のプライド・自負心を鼓舞するものでは決してなく、国境・国家や民族を超えた福音であったがゆえに、むしろ「異邦人」にこそ理解しやすい福音であったと思われる。

○先週の出来事(気になるニュース) 
 高齢者ドライバー(嫌な造語だ…)の引き起こす事故について連報道が続いたあと、高齢者ではない女性ドライバーによって起きた大津市での信号待ちをしていた幼児達を襲った悲惨な事故(女性ドライバーバッシングも始まるか?)。もはや100キロ以上スピードの出る鉄の塊の自動車ではなく、50キロ以内の、軽自動車サイズで電気で動くゴーカートのような、見晴らしの良い、運転する人の顔が外からよく見える、ちょっと当たってもゴメンヤッシャ!で済む、屋根のない運搬車で十分と思う。でも200キロ以上出る鉄の塊をガンダム風に仕立てて200万円で売らないと「政治家の目的」である国の経済が維持できないのだろう。これは原発を維持しないと国力が維持できない、という為政者の理屈とおんなじなのじゃろう。そう言えば、ガンダム風の乗用車が増えてきた。ロシアと戦って北方領土を取り戻したいと思っている政治家もガンダム世代だったっけ?

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