191103 宣教要旨 イザヤ書40:3-5マラキ書4:4-6 マルコ福音書9:9-13 題「荒野で呼ばわる声が」 宣教 金田恆孝

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191103 降誕前第8主日礼拝 宣教題「荒野で呼ばわる声が」

旧約聖書 イザヤ書40:3-5 マラキ書4:5-6
3 呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。
4 もろもろの谷は高くせられ、もろもろの山と丘とは低くせられ、高底のある地は平らになり、険しい所は平地となる。
5 こうして主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る。これは主の口が語られたのである」。
マラキ書4章4-6節
4 あなたがたは、わがしもべモーセの律法、すなわちわたしがホレブで、イスラエル全体のために、彼に命じた定めとおきてとを覚えよ。
5 見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。
6 彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。

新約聖書 マルコによる福音書9章9-13節

9:9一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。
9:10彼らはこの言葉を心にとめ、死人の中からよみがえるとはどういうことかと、互に論じ合った。
9:11そしてイエスに尋ねた、「なぜ、律法学者たちは、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。
9:12イエスは言われた、「確かに、エリヤが先にきて、万事を元どおりに改める。しかし、人の子について、彼が多くの苦しみを受け、かつ恥ずかしめられると、書いてあるのはなぜか。
9:13しかしあなたがたに言っておく、エリヤはすでにきたのだ。そして彼について書いてあるように、人々は自分かってに彼をあしらった」。

聖書から聴く 主題「荒野で呼ばわる声が」

荒野で呼ばわる者の声は人づてに瞬く間に広がっていった。人々は“神が立ち上がられる”予感を感じ取っていた。
紀元前400年頃、旧約聖書最後に登場する預言者マラキは、預言者エリアが再び現れることを告げる。もちろん“神が立ち上がられる”前に、荒野から「顔を伏せたまま生きている」人々に、悔い改めを勧め、主なる神の立ち上がり、「良き訪れ」を告げる者だった。 それからおよそ400年。
最初に荒野から声を挙げたのは、世と人々に悔い改めを迫るバプテスマのヨハネだった。
国々の争い、権力争い、利権の奪い合い、現世御利益的な迷信の流布、社会的弱者が増え続け、難民がますます居場所を失っている時代に、支配者たちを批判するだけではなく、「下を向いて生きている者たち」に対し、イスラエル、神とともに歩む民としての原点を指し示し、「悔い改め」を勧めた。
イエスが「エリアはすでに来た」と語ったのは、このバプテスマのヨハネのことであり、イエス自身もまたその活動に(同じ場所で一緒にいたわけではないとしても)参加していたと思われる。
激しく病んでいるにもかかわらずその自覚に欠け、目先の悲喜に一喜一憂し、建前、きれい事ばかりが流布され、商業的な祭りに踊らされる「踊るポンポコリン」ばかりが目立つ。立ち返れ1と言われても、「イスラエル」のような原点を持たないこの国。せめて、みんなで狂った結果としての「敗戦」という原点に戻るしかないのではないか。
バプテスマのヨハネと違う、イエスの「細い小さな声」を、いまこそ聴きたい。

○先週の出来事(気になるニュース)
米国大統領によるIS最高指導者バグダディ の見世物のような殺害は、客観的に見れば明らかに「テロ」である。強者にとっては「悪」を処刑断罪した「正義」になるのがいつの世も戦争の常である。独立国家を目指したIS。その望みが武力やテロによって圧殺されるとき、目に見えない「国家」がより広がっていくことは確かだろう。国家をもてなかったクルド人勢力が更に立ち上がったとき、いったいどうなってしまうのだろう。

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