191208 宣教要旨 列王記下 2:19-25 マルコ福音書9:33-37 タイトル「大人は堕落した子ども」 宣教 金田恆孝

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20191208 聖日礼拝

列王記 下 2章19~25節

19 町の人々はエリシャに言った、「見られるとおり、この町の場所は良いが水が悪いので、この地は流産を起すのです」。

20 エリシャは言った、「新しい皿に塩を盛って、わたしに持ってきなさい」。彼らは持ってきた。

21 エリシャは水の源へ出て行って、塩をそこに投げ入れて言った、「主はこう仰せられる、『わたしはこの水を良い水にした。もはやここには死も流産も起らないであろう』」。

22 こうしてその水はエリシャの言ったとおりに良い水になって今日に至っている。

23 彼はそこからベテルへ上ったが、上って行く途中、小さい子供らが町から出てきて彼をあざけり、彼にむかって「はげ頭よ、のぼれ。はげ頭よ、のぼれ」と言ったので、

24 彼はふり返って彼らを見、主の名をもって彼らをのろった。すると林の中から二頭の雌ぐまが出てきて、その子供らのうち四十二人を裂いた。

25 彼はそこからカルメル山へ行き、そこからサマリヤに帰った。

      マルコ福音書 9章33-37節

9:33 それから彼らはカペナウムにきた。そして家におられるとき、イエスは弟子たちに尋ねられた、「あなたがたは途中で何を論じていたのか」。

9:34 彼らは黙っていた。それは途中で、だれが一ばん偉いかと、互に論じ合っていたからである。

9:35 そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。

9:36 そして、ひとりの幼な子をとりあげて、彼らのまん中に立たせ、それを抱いて言われた。

9:37 「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」。

     聖書に聴く 「大人は堕落したこども」

古代より、日々の糧を得ること、家族や一族を危険から守ること、自然相手や人間相手の労働、商いなどに従事する「おとな」の意志や発言力が大きくなりがちでした。イエスの時代もそこから疎外されていたのはハンディを負っている者であり寡婦・やもめであり「こども」でした。雇う者雇われる者・賃金を支払う者受ける者・支配者服従者などの強固な縦の関係が人を縛ります。

イエスの語り伝えた神の国を理解し受け入れるのは「こども」だとイエスは言います。神の御心・真理とは「子どもにもわかること」であり、この世の「縦の関係」に縛られている「おとな」には隠されているのでしょう。

こどもを受け入れる者がイエスを受け入れ、神の国を受け入れるのだ、とイエスは語ります。

 そのこどもが大きくなり、大人へと「堕落」していくとき、性欲権力欲財欲等の欲望に目覚め、上昇志向を強めるとき、それと対峙できるのは、大人の堕落と対峙できる、弱くされていることの悲しみと怒りを知っている「おとな」なのでしょう。

人間の作る縦の序列と戦い、世の「神の恵みからの離反」を糺すエレミヤが、堕落し始めた子どもたちから「禿げ!はげ!こっから出ていけ!」とからかわれたとき、本気で怒ったことがデフォルメされ寓話のように伝えられています。

 こどもの大人化、悪やエゴや欲望への目覚め、社会的弱者に対する「いびり」などと対峙できるのは、「そんなことしたら自分が損だよ」などと教える理性的合理的思考の「おとな」ではなく、見た目やハンディや弱い立場の人間をからかう、おちょくる心を「そりゃ、ひどいよ」と本気で怒る、子どもの心のままの「ひと」なのではないでしょうか。

先週の出来事・気になるニュースなど

北海道がんセンター所長、西尾正道医師の講演録の中で、食べ物の遺伝子操作、ホルモン添加、農薬などの影響で、米国でも癌と自閉症が増大しており、米国のみならず日本の子どもたちに広がっている自閉症の原因となっている、との論文の紹介があった。ぜひ調べたい。

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