191124 宣教要旨 イザヤ書6:6-12 マルコ福音書9:28-29 11:22-23 タイトル「御心とひとつに」宣教 金田恆孝
東淀川教会 聖日礼拝 聖書に聴く 「御心とひとつに」
イザヤ書6章6-12節
6:6この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、
6:7わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。
6:8わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。
だれがわれわれのために行くだろうか」。
その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。
6:9主は言われた、「あなたは行って、この民にこう言いなさい、『あなたがたはくりかえし聞くがよい、しかし悟ってはならない。あなたがたは
くりかえし見るがよい、しかしわかってはならない』と。
6:10あなたはこの民の心を鈍くし、その耳を聞えにくくし、その目を閉ざしなさい。これは彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟り、悔い改めていやされることのないためである」。
6:11そこで、わたしは言った、「主よ、いつまでですか」。主は言われた、「町々は荒れすたれて、住む者もなく、家には人かげもなく、国は全く荒れ地となり、
6:12人々は主によって遠くへ移され、荒れはてた所が国の中に多くなる時まで、こうなっている。
マルコ福音書 9章28-29節 11章22-23節
9:28家にはいられたとき、弟子たちはひそかに
お尋ねした、「わたしたちは、どうして霊を
追い出せなかったのですか」。
9:29すると、イエスは言われた、「このたぐいは、
祈によらなければ、どうしても追い出すことは
できない」。
11:20朝はやく道をとおっていると、彼らは先の
いちじくが根元から枯れているのを見た。
11:21そこで、ペテロは思い出してイエスに言った、
「先生、ごらんなさい。あなたがのろわれた
いちじくが、枯れています」。
11:22イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。 11:23よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。
聖書から聴く 宣教要旨「御こころとひとつに」
☆セラピム=カルデア神話に登場する稲妻の精。アブラハムの出身地の神話が聖霊の一つの姿として登場している。神の「火の働き」なのだろう。
神が「それ」を滅ぼそうとしたら必ずそうなる。人の罪さえ焼き尽くす「火」である。
「繰り返し聞け。しかし悟るな。繰り返し見よ。しかし理解するな」のメッセージは、神の計画の絶対性、人の思いによって想像することも、変更すらできない厳粛な主のわざを示している。しかも、それを「わかる」と思いたい私達の傲慢さを明らかにしている。
個人や共同の祈りのあと、「しかし、私(我ら)の思いではなく、御心が行われますように」との祈りは、主なる神のわざへの謙虚さの顕れである。
ひきつけを起こし、口から泡を吹いてのたうちまわる少年に対し、そうさせている正体を見抜き、神が少年に派遣しているセラピムの姿がイエスには見えていたのでしょう。だから、セラピムに焼け尽くされようとしている悪霊に命令することができたのでしょう。
現代社会。生理学的検査の発達や様々な疾病・障害などについての知見が深まり広がっている中で、人類は“戦争”を根治する術を知らず、人を殺さないための術を確立できないにもかかわらず、人によっては殺すべきだと主張したり、自分たちより小さくされている者たちが自分たちより恵まれていることを許さなかったり、病気や障害について、頭で“わかり”、理解できると思い込んでいる。精子や卵子や細胞の操作、遺伝子の解析などの科学技術によって、生命そのものの操作ができるような幻想に陥り傲慢の極みに達しようとしている人類に現代セラピムはどうするのでしょう。
先週の気になるニュース
総理といえども公務に仕える公僕・公務員である。何でもできる王様ではない。総理夫妻が公的な行事「桜を見る会」を私的、恣意的に利用・拡大し、国会で追求された途端に膨大な記録を大型シュレッダーで証拠隠滅を図った件、偽計業務妨害の疑いにつき、警察・検察が動かないのは、法治国家なのになぜなのだろう。