191215 宣教要旨 イザヤ61:1-5 マルコ9:38-40 題「悔い改めの実を結ぶとは」
191215 アドベント 降誕前第2主日 宣教要旨 イザヤ61:1-5 マルコ9:38-40 ルカ福音書3:7 9:49-50 17:1題「悔い改めの実を結ぶとは」宣教 金田恆孝
イザヤ書61:1:51 主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、
2 主の恵みの年とわれわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、3 シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために植えられた者ととなえられる。4 彼らはいにしえの荒れた所を建てなおし、さきに荒れすたれた所を興し、荒れた町々を新たにし、世々すたれた所を再び建てる。5 外国人は立ってあなたがたの群れを飼い、異邦人はあなたがたの畑を耕す者となり、ぶどうを作る者となる。
マルコ福音書9:38ヨハネがイエスに言った、「先生、わたしたちについてこない者が、あなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちについてこなかったので、やめさせました」。 9:39イエスは言われた、「やめさせないがよい。だれでもわたしの名で力あるわざを行いながら、すぐそのあとで、わたしをそしることはできない。 9:40わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である。 9:41だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう。
ルカ福音書3:7さて、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出てきた群衆にむかって言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、のがれられると、おまえたちにだれが教えたのか。 3:8だから、悔改めにふさわしい実を結べ。自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。
9:49するとヨハネが答えて言った、「先生、わたしたちはある人があなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちの仲間でないので、やめさせました」。 9:50イエスは彼に言われた、「やめさせないがよい。あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである」。
17:1イエスは弟子たちに言われた、「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。 17:2これらの小さい者のひとりを罪に誘惑するよりは、むしろ、ひきうすを首にかけられて海に投げ入れられた方が、ましである。 17:3あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。 17:4もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。
聖書に聴く 「悔い改めの実を結ぶとは」
「自分たちこそは祝福された良い集団・民族・国民である」という集団の優越意識・選民思想は内側の者にとって「ちから」にはなるが、外側の者にとっては疎外・差別の元である。ヨハネは「アブラハムの子」という選民思想に冷水をぶっかけるように「マムシの子らよ。神はこの石ころからでもアブラハムの子を作り出す」と言い放つ。形ばかりの悔い改めではなく、悔い改めにふさわしい実を結べ」と怒りの声を放った。「悔い改めの実」とはなにか。
世の「小さくされている者、貧しくされている者」の側に神がおられることを告げ、「彼らが経済的知的観念的宗教的抑圧から解放されるために働け」「彼らとともに神の祝福を受けるために働け」がイザヤ書の言葉。
その働きをするのに「誰が・どの集団が・どんなセクトが、何の目的で」為しているのかは問題ではない。私達に反対しない者、同じような働きをしている者は味方である」というイエスの言葉には、今日で言うセクト的党派性・宗派性はいっさい感じられない。
「罪の誘惑」は富める側にも貧しい側にも必ず訪れる。その世における「役立たず」を軽んじ疎外し、貧しいゆえに富める者を敵としパンを盗む者も現れる。人間が作り出した「断絶」・被害者感情はそこかしこに満ちあふれている。断絶(罪)へ誘惑するものの正体をともに探ろうともせず相手を悪として裁くために法を利用したり多数決を利用したりする。
かつてこの国には「あの子(人)に悪い虫がついて、その虫が悪さを働いている。彼から悪い虫を駆除するにはどうしたらええんじゃろ?」という認識・思考方法があった。現代でも妬み虫、加害虫、外敵虫、テロリスト虫などがいっぱい作り出されるまま、虫が目に見える(人)と区別されず人が裁かれ続けている。「虫」を「無視」して人を裁いてはならないんじゃないか。
礼拝を通して聖霊による洗礼を新たに受け、主イエスの体をいただき、クリスマスを新たに迎えたい。
先週の出来事・気になるニュースなど
銃撃された中村哲医師。アフガニスタンのアシュラフ・ガニ大統領らに担われ日本に向け出発。日本に到着した遺体を出迎えた内閣閣僚大臣は誰もいなかった。外務省担当者(役人)はいたが。これが日本の現実なのだろう。