2020年3月29日受難節第五主日礼拝 申命記6章 マタイ6章・ルカ福音書11章 題「主の祈り・私が赦した分だけ」宣教 金田恆孝

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申命記6章4-7節
4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。
6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、
7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。

マタイによる福音書6章
6:12わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。

ルカによる福音書11章
11:4わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』」。
11:5そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。
11:6友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、
11:7彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。11:8しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。
11:9そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

宣教題【主の祈り・私が赦した分だけ】
イエスが語った第一の戒め、「心を尽くし力を尽くし…主なる神を愛せよ」のもとは申命記の6章4節からのくだりである。私たちが唱えている「主の祈り」はここから始まり、全体としてはマタイ福音書6章、 ルカ福音書11章が原型である。その中で、ひとつのセンテンス、まとまりの「私の罪を赦してください」と、「私に対する他者の罪を赦します」の関係にどうしても疑問が残る。カトリック教会の「主の祈り」では「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」と単純に併記されている。一種の決意表明とも感じられる。プロテスタントの教会では「我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも許し給え」と、“如く、~のように”が間を繋いでいる。私が人を赦すことと、自分自身の罪の赦しを求めることの関連性にそれでもやっぱり疑問が残る。「人の罪をあまり許せていない私は、主に自分の罪の赦しを求める資格はないのではないか」とか、或いは「私が他人の罪を許しているのでと、よくもぬけぬけと祈ることができるものだ」という疑問や不安や自己嫌悪すら感じてしまう。それであるならば、ここは、“主の眼から見て、私に対する人の罪を私が赦せている分だけ、私の罪をお赦しください”と唱える方がはるかにスッキリする。隣人をさほど赦してもいないのに、私だけたくさん赦してくださいと願うのはおかしいし、赦されていない課題がたくさんあることを自覚できるだけ幸いであろう。

 困っている貧しい友人を家に泊め、提供する食事を調達するため、他の貧しい友人に食べ物の融通をお願いし、断られても必死にお願いすれば、多少なりとも調達できるかもしれない。真剣に求め続けたら何か得られるだろう。イエスの語る「求めよ。されば与えられる」は、“何かが変わる”という言い方でもあろう。
 合理的判断を捨てて求め続けることは、一種の誓願を立てることでもある。カトリック教会の「黙想」の中で、願いを立てて、そのための条件を立てること自体を「信仰の訓練」として教会全体で意識的かつ積極的に行っているところもある。祈り・願いの条件を自分から提示する、誓願を立て、そのために断食をする、とか、好きな食べ物を断つ、とか、好きな趣味をしばらく止めるとか、なにがしかの我慢を条件・誓いとして願いを立てることが多い。 

 許せない!という怒りを持続し続けている人、或いは怒りをすら生きるエネルギーにしている人も多い。やはり赦せない思いがあまりに大きいのならば、赦せない相手にどう変わってほしいのか、願いを立てて、自分の叶えていただきたい願いを吟味し、それにみあうだけの、自分に対する誓いをたてるという「誓願」は、生き方の変革にもつながり、自分の信仰の訓練になると思われる。

先週の出来事
 ウィルスの感染経路や濃厚接触者を割り出すために、個々人の所有する携帯電話についているGPS機能をフル活用し、行政や警察などが中心となって、個々の行動や人間関係を記録し続けること、完全な監視体制が真剣に検討されているとのこと。国家総動員体制のためのインフラ作りを感じる。
かなりヤバい状況である。

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