2020年3月22日受難節第四主日礼拝 エゼキエル書36章マタイ福音書6章 主題「主の祈り」1 宣教 金田恆孝

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エゼキエル書36章22-27節
22それゆえ、あなたはイスラエルの家に言え。主なる神はこう言われる、イスラエルの家よ、わたしがすることはあなたがたのためではない。それはあなたがたが行った諸国民の中で汚した、わが聖なる名のためである。23 わたしは諸国民の中で汚されたもの、すなわち、あなたがたが彼らの中で汚した、わが大いなる名の聖なることを示す。わたしがあなたがたによって、彼らの目の前に、わたしの聖なることを示す時、諸国民はわたしが主であることを悟ると、主なる神は言われる。24 わたしはあなたがたを諸国民の中から導き出し、万国から集めて、あなたがたの国に行かせる。25 わたしは清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から清める。26 わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。27 わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。

マタイ福音書6章9-14節
6:9だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。6:10御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。6:11わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。6:12わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。6:13わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。6:14もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。

宣教題【主の祈り】1

礼拝には必ず唱えられる「主の祈り」
旧約聖書、申命記6章4節「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。心を尽くし魂を尽くし力を尽くして主なる神を愛せよ。」「聞け・シェマ」から始まる祈りの基本。その祈りは、これまでに主の名を汚した、汚れからの、罪人からの、マイナスからの出発であることを申命記及びエゼキエル書のシェマ、主の祈りは伝える。いわば死に瀕しているこの民が、赦され、回復し、新たに歩むにはこれしかない、という緊張を帯びたシェマなのである。主なる神が、汚れ穢れ死にかけている民を清める、と宣言してくださる。守り歩ませる、と宣言してくださる。それへの応答が主の祈りである。
 回復のためにはまず食べ物が不可欠。イエスはそこに“日毎の、今日の食べ物を与えてください”を付け加えられた。古代のように、食べ物が自然から、神さまからの恵みとして誰でもただで受け取れる、収穫できる、分かち合える時代ではなくなっていた。食品はすべて商品化され、お金がなければ手に入らなくなっていた。人間が“便利”のために作り出した“お金”がなければ、食べ物が手に入らない、お金が“障壁”となっていた。

「貧しい者は幸い」「お金がない者は幸い」が実現するとは、神さまからの恵みを、そのまま、ダイレクトに受け取ることのできる神との関係、人間関係を取り戻すことでもある。それを取り戻す「わざ」が、“五つのパンと二匹の魚”の奇蹟でもあった。

 人間の、便利のために作り出した貨幣が、神との関係、人間同士の関係における“障壁”でもあり、人々を分断し、貨幣がなければ食い物すら手に入らない、その障壁を人間たちが乗り越えようとするときに、奇蹟が起こる。それが、分かち合い、許し合い、守り合い、祈り合う実践が、神の愛への応答、信仰となる。

 神ありの時代を神なしで過ごしている時代、罪の集積としての歴史を積み重ねてきた現代。じつは瀕死状態のマイナスからの出発であることを自覚し、共有し続けていきたい。

先週の出来事
 日本国内のコロナウィルス感染者数が1000名を超えたとの報道。大阪市と兵庫県の交通・往来を自主的に止めるよう規制まで。国家総動員体制へのデモンストレーションが続きそう。そうだ。原発大事故がいまだ集束していないにもかかわらず原発の運転を止めようともしないこの国で、米日軍事協定の人身御供として沖縄が差し出され続けているこの国で、まさにこれを悔い改めのための長期的安息日、外で働かず、家にこもって断食と祈りのときを過ごす期間に切り替えられたら、と真剣に思う。

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