2020年6月14日 聖霊降臨節第三主日礼拝 エレミヤ書31章 マルコ福音書3章13章 宣教題「霊=神ありのしるし」
エレミヤ31章31-33節
31 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。32 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。33 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。
マルコ福音書3章28-30節 13章11節
3:28よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。3:29しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。3:30そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである。
13:11そして、人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、聖霊である。
宣教要旨「霊=神ありのしるし」
「神との約束を破ったのは「イスラエル民族」であった。いったん契約は終了した。イスラエルは国を失い、部族を失い、囚われの身となり、やがて離散する他なかった。
新たに神と人とが契約を立てるときが来る。それは「民族」ではなく「国民」でもなく、一人ひとり個人の中に神が住み、神と一人ひとりの契約となる」とエレミヤは語る。
言い換えれば、それは「ユダヤ教徒」との契約でもなければ、「キリスト教徒」との契約でもない、ということになる。
マルティン・ブーバーはこれを「対話の神」と語る。神がご自身を「我」として、一人ひとりに「汝よ」と語りかけ、ご自身を啓示され、汝からの応答を求める。
神ありの時を神なしで生きている時代。人々は神に生かされていることを認めず、今という時の中で神の声を聞かず、神の働き、神の息、神の風が今どう動いているかを見極めようともしない。
マルコ福音書が語っているのは、『「神などいない」「神は死んだ」と語ることも叫ぶことも赦される。神はそれをとがめる方ではなく、人々に承認されることを求める方でもない。が、神の霊が動き、働き、御心によって癒やされている人を指して「悪霊に取り憑かれている」と言い、神のわざを穢すことは赦されない』というメッセージであろう。
あなたの中に神がおられるのなら、あなた方の中に神が住んでいるのなら、間違って他の人があなたを罪人として訴え、法廷の場に引き出されても、自分で自分を弁明したり自分の正しさを自分で証明する必要もない。あなた方の内にいます神、聖霊があなたの口を用いて語ってくださる、と言う。あなたは「主よ、お話しください」と言えばよい。神我とともにいます「インマヌエル」の神である。
先週の出来事
「密集、密接、密閉の三密を避けるべし」と号令が首都東京から発せられている。日本で一番過密な東京からである。過疎の地方で聞けば「こっちはもともとカスカスでっせ」の声が聞こえそう。東京の「密」そのものを解決しなければ、という声は挙がらないのか。日本の総人口が減少し、地方都市の人口はますます減少しているのに東京の人口だけが増加しているのは国是?。東京都の感染数が最も多く岩手県は0である。ノアの箱舟に群がるような都市集中構造そのものが間違っている、というメッセージを誰も聞かないのか?