20201101 礼拝宣教要旨「永眠て何でしょう」
詩篇16篇10−11節 マルコによる福音書9章 1-4節 テサロニケの信徒への手紙一4章13-14節
讃美歌 1.23 来る朝ごとに 1.90 ここも神の御国なれば 1.94 久しく待ちにし主よ
詩編16編 10-11節
あなたは私の魂を陰府に捨て置かず/あなたに忠実な者に滅びの穴を見せず
命の道を私に示されます。/御前には満ち溢れる喜びが/右の手には麗しさが永遠にありますように。
マルコによる福音書9章 1-4節
また、イエスは言われた。「よく言っておく。ここに立っている人々の中には、神の国が力に溢れて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。」六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。すると、彼らの目の前でイエスの姿が変わり、衣は真っ白に輝いた。それは、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほどだった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。
16章12節この後、そのうちのふたりが、いなかの方へ歩いていると、イエスはちがった姿で御自身をあらわされた。
テサロニケの信徒への手紙一4章13-14節
きょうだいたち、眠りに就いた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、私たちは信じています。それならば、神はまた同じように、イエスにあって眠りに就いた人たちを、イエスと共に導き出してくださいます。
16節すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、
17節すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、続いて生き残っている私たちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に出会います。こうして、私たちはいつまでも主と共にいることになります。
宣教題「永眠ってなんでしょうか」
「永眠」という言葉はかなり一般的に使われ、プロテスタント教会でも「永眠者記念礼拝」のようによく使われています。キリスト教界では「召天」が聖礼典では一般的です。正教会系では「永眠」がよく使われました。その根拠は「パウロの手紙」です。“イエスは復活し天に昇り”(地上にはいない)“(間近な)終末のときこの世に現れる”“先に亡くなっていたキリスト者は復活しイエスとともに地上天国が完成する”「復活まで死者は眠っている」という復活信仰と死の理解がパウロたちによって広められた。
詩篇にあらわれている「いのち・たましい」は、民間伝承による「個のいのち」の、冥府、地獄への恐れはあるものの、いのちは個のものではなく神のものであり神与え、神が取り上げるもの、という感覚に満ちている。
マルコ福音書の「決して死なない者」には、時を超え、肉体を超え、継承される命、神に用いられる魂としてエリア、モーセ、イエスの姿を弟子たちは見ることができた。
マルコ福音書の伝えるイエスの復活は、もとのからだではなく、異なる人にイエスの魂は受け継がれ、ガリラヤから新たな旅は始まるという、死者の体は滅んでも命・魂は受け継がれる、という理解であると思われる。
エルサレムでのイエスたちの行動は社会秩序への反乱と看做され、イエスの十字架処刑以後も、更にその後も反乱は続AD135年のバルコクバの乱まで様々なかたちで続きました。
60年頃、アンティオキアに拠点を置き、小アジア、ローマ帝国への伝道旅行を行ったパウロは、キリスト教会の組織化を図り、地上における諸国の権力は神が与えたものだから従うことを勧め、迫害によって死んだ者は怨霊となって一緒に戦うわけではなく、洗礼を受けた選民たる死者はまもなく訪れるであろう終末と復活の時まで“眠ってそのときを待っている”というメッセージを展開した。「永眠」のイメージはパウロから始まっていると思われる。イエスを殺した者たちへの反乱を止めさせ、キリスト教組織への弾圧と組織の分裂を防ぎ、世の権力と争わず、これに仕えるためにはパウロの神学、は適していたと思われる。
この世の旅路を終えた魂は命を吹きこんだ神のもとに聖霊となって帰り、イエスのいのちを受け継いだ魂はガリラヤからの新たな旅に合流する、イエスと一緒に働くことができる、という初期のイメージを大切にしたい。
先週の出来事
感染症の広がり方で、地域的規模がエンデミック、中規模がエピデミック、そして大規模・広範囲がパンデミックと言うらしい。“このウイルスは我々の社会でエンデミックとして残る可能性がある。感染症を制御できるようになるためには「非常に長い道のり」であり、このウイルスはHIVのように消滅しない可能性がある」”とWHOが警告を出した。socal distance 、人間間の基本的な距離は一体どうなるのだろう。ウィルスを理由に人間の“間”は分断されたままになりそうな恐怖がある。