20211010 Sunday Service 宣教題「人が作った地獄」担当 金田恆孝
本日の聖書箇所(聖書協会共同訳)
列王記下23章7節
また、主の神殿の中にあった神殿男娼の家を破壊した。そこは女たちがアシェラのために布を織っていた場所でもあった。
列王記下23章10節
さらにベン・ヒノム(ヒンノム)の谷にあるトフェト(生贄の祭壇)を汚した(無効化)。誰もモレク(神)のために、息子や娘に火の中をくぐらせる(生贄にする)ことのないようにするためであった。
マタイによる福音書7章 13節
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道も広い。そして、そこから入る者は多い。
マタイによる福音書23章15節
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、改宗者を一人つくろうとして、海や陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪いゲヘナの子にしてしまう。
マルコによる福音書9章 47-48節
もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両目がそろったままゲヘナに投げ込まれるよりは、一つの目になって神の国に入るほうがよい。ゲヘナでは蛆が尽きることも、火が消えることもない。
※ヨシヤ王 ユダ王国のBC640-609年の王 形骸化し堕落した世俗的ユダヤ教から、神との契約関係に戻るための宗教改革を行い、異教の神々への崇拝、人身御供などを終わらせた。エジプトとの戦いで死亡。
ゲヘナ (Gehenna)は、ヒンノムの谷を意味するヘブライ語のゲーヒンノーム(גי(א)-הינום)を語源とするギリシャ語ゲエンナ(γεεννα)に由来する語。
宣教の要旨「人が作った地獄」
地獄(ヘゲナ・ヒンノム)は、死後の世界でも罰として行くどこかの恐ろしい世界でもなく、エルサレム旧市街の南の低地に広がる、「聖なる」者たちが作り出した、目の前の現実の場所だった。イエスたちの「エルサレム入城」が、どの門から入ったかは不明だが、イエスが語った「狭き門から入れ」から考えると、エルサレム城壁の八つの門(黄金の門 ライオンの門 ヘロデ門 ダマスカス門 新門 ヤッフォ門 シオン門 糞の門)のうち、最も狭い「糞の門」が入城した門と思われる。紀元前600年頃、ユダ王国のヨシア王が「契約の書」発見を機に、エルサレム神殿を中心の堕落し切ったユダヤ教を、神との契約の原点に帰れ!とばかりに宗教改革を行なった。自分たちで勝手に律法や言い伝えを増やし、救われるための条件を人々に押し付けて利益を得ており、それらが信仰をつまずかせている、と改革を迫った。エルサレム城壁内にあった神殿男娼・神殿娼婦の家を撤去し、外部から持ち込まれたご利益信仰や、偶像崇拝、人身御供を要求するモレク神、金持ちが財力で罪が清められ聖人と呼ばれる“お札”のような慣行を廃止した。イエスの言葉として記されている「もし片方の目が(片方の手が)あなたをつまづかせるなら切り捨てなさい」は、イエスによる神殿批判と、悪しき行いをやめさせたヨシア王による宗教改革を重ねていると思われる。
エルサレム神殿やエルサレム城壁内を「聖別し清く保ために」清くないもの(糞尿、ゴミ、死骸など)を糞門から運び出し、ヒンノム(地獄の谷)に捨てさせた。「汚れた民・地の民」は地獄の谷に住み、城壁内、神殿に行くためには(糞の門)を通るしかなかった。イエスは、この世の「穢れ」を作りだし、排除することで「聖域」が成り立っているならば、聖なる領域から排除された「最も小さくされている者」たちこそ、神に招かれている、神の国に近いと語ったと思われる。イエスたちがこの「糞の門」からエルサレムに入城したであろうことは、のちに成立した「美化されたキリスト教」にとってはふさわしくないものとして記述が省かれたと思われるのです。
先週の出来事
れいわ新撰組山本太郎氏が東京8区で立候補を表明。ショックで立憲民主党の吉田候補が寝込んだ、のニュース。野党統一候補についての事前調整がうまくいっていなかったのだろうけれど、「ショックで寝込む」ようなヤワではこれまでの保守勢力と正面から戦える資質を持っていないと思うのだけれど。