20211003 SundayService 宣教題「糞門」担当 金田恆孝

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本日の聖書箇所(聖書協会共同訳)
ネヘミヤ記 3章 13節
谷の門を修復したのはハヌン、そしてザノアの住民である。彼らはそれを再建し、扉と錠とかんぬきを取り付けた。そして糞の門まで千アンマにわたって城壁を修復した。

マタイによる福音書7章 13節
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道も広い。そして、そこから入る者は多い。

マルコによる福音書7章 14-15節
それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、私の言うことを聞いて悟りなさい。
外から人に入って、人を汚すことのできるものは何もなく、人から出て来るものが人を汚すのである。」

※エルサレム神殿 8つの門のうち一番小さい門が南側にある糞門(不浄門)。外の低地にはヒンノムの谷が広がっていた。ここに城壁内部のゴミ、糞尿が運び出された。動物の死体、人間の遺体の焼却もここでなされた。この谷に非人(地の民)、皮膚病、食肉業者、皮なめし業者、羊飼いの仮住まい、遊女、徴税人などの住まいがあった。別名ゲヘナ(地獄)の谷。

 

宣教の要旨「糞門」別名 不浄門
 イエスの言葉「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道も広い。そして、そこから入る者は多い。」
  ここを、“神の御心を行うものは少数者”であり、“迫害される少数の、神の御心を行うキリスト者”というふうに自分たちのことを観念的に理解するようになったのは、キリスト教が発生してからのこと思われます。
 
 イエスが「小さき門」と語ったのは、ネヘミア書にも記されている、エルサレム市街を取り囲む城壁のうち、南側に設けられた、ロバの荷車がやっと通れる、高さ2メートルほどの、ゴミや糞尿、死体などを運び出すための門、そして最下層の人々が出入りを許されていた「糞の門」のことだったと思われます。

エルサレム糞の門


 他の7つの広い門とは最上級の上品な人々が出入りした「黄金の門」、「義人を自認する人のヘロデ門」、ローマ軍人用「ダマスコの門」などをはじめ、用途によって分けられた門だったのでしょう。

 南側に小さく設けられた「糞門」の前には、低地の「ヒンノムの谷」が広がっていた(別名ゲヘナ 地獄の谷)とあります。この谷にアムハーレツ(地の民、非人)、伝染病患者、肉食業者、皮なめし業者、羊飼いの仮住まい、遊女、徴税人などの住まいもあったと思われます。

 イエスは、この糞門から神殿に詣でよう、と呼びかけていると思われます。神殿の中、エルサレム市街を清く清潔に保つために糞尿、汚物、ごみを糞門からヒンノムの谷に向かって出していたのでしょう。すると、マルコ福音書7章14−15節の「外から人の口に入って汚すものはない。むしろ人から出てくるものが人を汚す」という言葉が違ったメッセージとして聞こえてくるのです。「自分たちこそ正しく清いと思っている上品な人々の糞尿が糞門から運び出され、彼ら自身が、そして神殿中心のエルサレムそのものが「清くない人々・非人、地の民」を作り出している!というイエスのメッセージだったのではないでしょうか。

ヒンノムの谷について調べていて、フィリピンのゴミの山(スモーキーマウンテン)で出会った、家族の収入を支える子どもたちの目の輝きを思い出しました。或いは最後の瞽女として報道された小林ハルさんのことを連想しました。今日の風潮からいえばどちらもこどもたちに対する“虐待”であり、私たちは「子どもへの教育を」、「福祉政策を」と叫んで、問題を理解しているつもりになりがちです。

 相対的な経済力、という意味での「貧しい国々」で大人に混じって働いている子供達は多いわけですが、私が出会ったフィリピンではスカベンジャー(ゴミ拾い)、トライシカット(自転車タクシー)、トライシクル(オートバイタクシー)など、家族や同胞を食べさせるために働いている子どもたちが今も多くいます。

 最後の瞽女として、映画にもなった明治33年1900年生まれのハルさんは3ヶ月目に白内障で失明。2歳で父親病死。喘息で病弱な母がハルさんに対して炊事洗濯裁縫など鬼のような生活指導。温みを感じられなく“継母”と思っていたそうです。5歳から瞽女修行、8歳で瞽女巡業に参加。10歳の時母が肺炎で衰弱。死を悟った母がハルさんを呼び最後の別れをした時もハルさんは涙ひとつ出なかったと。祖母はハルに向かって「役立たずのハルがトメ(母親)に代わって死ねばいい!」と叫んだとのこと。母の温みは知らなかったが、母の言葉、「はたらくとははたをらくにすること」「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」「人様に甘えてひもじいフリ、かなしいフリ、辛いフリをしてはならない」「苦しみや災難は全て修行」との母の教えとともに瞽女の修行を続けた。瞽女仲間に金を取られ、暴行を受け、独立後に縁組した養子と死別したりと散々な瞽女時代を過ごす。が、ハルさんを支え続けたのは仲間でもなく、親方でもなく、母トメさんの厳しい言葉だったとのこと。幼女との死別の後も何人か頼まれて幼女を養子とし、瞽女を育てている時、厳しく接しなければならないこと、心を鬼にしなければならない時があった、その時、母トメの、継母のような冷たく厳しい接し方の背後にあった本当の温みがようやく理解でき、たくさん泣いた、とのこと。トメさん自身が病弱で、盲目ゆえに親族にも見放され社会からも邪魔者扱いされるだろう娘ハルに対して、娘が生きていくためにできることを短い間に教え込んだ母の思い。
 周囲の人の善意を求め、周囲から可愛がられるように躾け、社会の助けを乞いながら広い門へ我が子を押し出していく道を選ばず(当時すでに盲学校はあった)、「狭い門」へと送り出した母トメの思いに、イエスの言葉とともに心を馳せたい。

 「自分」や「自分たち」の豊かさを維持するために貧しい人々、国々を作り出している現代の南北問題。
「自分」や「自分たち」の清さ、先進国、良い人ぶりを維持するために、後進国、難民、「普通の人々」以下を作り出している現代も構造は同じなのでしょう。 

先週の出来事

加藤官房長官のコメント 「政権が代わっても全ての拉致被害者の一日も早い帰国実現に向け、あらゆるチャンスを逃すことなく全力で行動するとの政府方針に変わりはない」って…  公用語としての日本語はすでに死んでいる。「変わりはない」って、何にもできないことに変わりはないってこととしか聞こえない。

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