20220206 礼拝宣教要旨「あるがままで神の子」イザヤ書41章 ルカ福音書4章 担当 金田恆孝
本日の聖書箇所(聖書協会共同訳)
イザヤ書41章 17節
苦しむ人や貧しい人が水を求めても、水はなく 彼らの舌は渇きで干上がるが 主である私は彼らに応え イスラエルの神である私は彼らを見捨てない。
ルカによる福音書4章 16節〜21節
それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとしてお立ちになった。
預言者イザヤの巻物が手渡されたので、それを開いて、こう書いてある箇所を見つけられた。
「主の霊が私に臨んだ。貧しい人に福音を告げ知らせるために 主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは 捕らわれている人に解放を 目の見えない人に視力の回復を告げ 打ちひしがれている人を自由にし 主の恵みの年を告げるためである。」
イエスは巻物を巻き、係の者に返して座られた。会堂にいる皆の目がイエスに注がれた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
ルカ6章 20節
さて、イエスは目を上げ、弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである。
宣教の要旨「あるがままで神の子」
イエスの「貧しい者」とは、富や権力や一族や家族(いわば社会的富)に守られることのない、ありのまま(ハンディキャップも病気も抱えたまま)の弱者(神の子)を指していると思われます。なんら社会的富を持たない「神の子」らが有機的に繋がり支え合い活かし合う関係が神の国なのだ、と語っているとしか思えないのです。
「パンドラの箱」の語源はギリシャ神話。最高神ゼウスがあらゆる不幸や災いが入った箱を地上最初の女性であるパンドラに渡し、「絶対に開けてはならない」と命じる。 しかしパンドラは好奇心から箱を開け、中にあった不幸や災いが飛び出す。パンドラはすぐに蓋をしたが、箱には「希望」だけが残った、というお話です。
ウランやプルトニウムの核分裂から巨大なエネルギーを取り出したことを、“神が数十億年閉じ込めていたものを人間が強力な兵器を作り出すために危険を顧みず取り出した”と、パンドラの箱を開けた不幸として語られることがありました。新しい発見に情熱を燃やす科学者たちは、それが人々を焼き尽くす武器になることも、今日のような事故がもたらす被害や必ず出てくる放射性廃棄物の危険について見極めることはできなかった、という表現です。
今日、人間や動植物の遺伝子DNAの解析、人ゲノム解析がほぼ終わり、そこから現代人につながる人類の歴史を読み取ったり、遺伝子操作による病気治療や羊水検査による胎児の染色体検査が行われるようになっています。カルフォルニア州では羊水診断費用を州が負担し、ダウン症の可能性のある場合の堕胎率は50%以上とのこと。アイスランド国では国民健康法に基づき個人の遺伝子情報、100万人の家系図情報等を国が集め、会社に委託しデータ管理し始めました。これが国家の福祉予算を大幅に軽減できるというのです。つまりは、病気や障害など手のかかる子供が生まれる確率を抑えることができる、という考え方です。しかし国が集め企業に委託された個人データは、国家機密と同様、漏洩したり売買される危険性は必ず残ります。
自身も生命科学の専門家であり、正体不明の難病に苦しんでいる柳澤桂子氏は「科学者として人間の遺伝子情報を解明するためには、アイスランドのデータは喉から手が出るほど欲しい。人類がそれぞれの土地や環境で、適応するための新たな免疫力獲得や突然変異は起こるが、必ずリスクとして難病が発生したりハンディを負った子どもたちが生まれてくる。全体が環境適応するために一部の人がリスクを背負ってくれたことを理解し、同じ人間として支え合う社会を作ることこそ重要であり、知り得た情報によって、ハンディを持った子どもを産まないようにすることは間違っている、と語る「生きて死ぬ知恵」。
食品の遺伝子操作や遺伝子操作によるワクチンが、今後人類にどのようなリスクをもたらすかは科学者であっても未だ不明だという。更に人間の遺伝子解明と操作が可能になった今こそ、ナチズムのごとき人間に優劣をつけて振り分ける優生思想や、福祉コスト低減のため、ありのままの人間を社会のお荷物とみなす危険が増大している。
強い者たち、富が豊かな者たち、社会に役立つ人間こそが意味ある命だとする「相対的価値」「社会的価値」感覚が「相模原19人殺し事件」を生み出したと言える。
「貧しい(社会的価値を持たない)者こそ幸い」「神の祝福はこちらにこそある」のイエスの声を、今こそ聴き続けたい。
先週の出来事
「重症化リスクのない若い人にとってオミクロン株は『かぜ』だ」と語る医師たちが増えている。スウェーデンでは来週、感染対策規制を解除するとのこと。春の訪れとともに、コロナ対策が、かつてのインフルエンザ対策に戻ることを願いたい。