20220717 東淀川教会礼拝 宣教要旨「悪い木は良い実を実らせない」マタイ福音書7章 12章 担当 金田恆孝

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本日の聖書箇所(聖書協会共同訳)
マタイによる福音書7章 16-20節
あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」
マタイによる福音書12章 31-37節
だから、言っておく。人が犯す罪や冒瀆は、どんなものでも赦される。しかし、霊に対する冒瀆は赦されない。また、人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも来るべき世でも赦されることはない。」「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しはその実によって分かる。毒蛇の子らよ、あなたがたは悪い人であるのに、どうして良いことが言えようか。およそ心から溢れることを、口は語るのである。善い人は良い倉から良い物を取り出し、悪い人は悪い倉から悪い物を取り出す。言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」

宣教の要旨「悪い木は良い実を実らせない」

「今の時代を何に喩えようか」とのイエスの言葉がありますが、この時代は『難民時代』と呼んで良いと思います。それは国連関連機関が発表している「2022年5月には難民の数は1億人を突破した」という世界規模の難民問題だけではなく、“社会の中で居場所を失っている” “貧困で生活が危うい” “発達障害や様々な社会不適応の代名詞のような障害名でラベリングされたり向精神薬を投与されているこどもたち” “20代から30代の死亡原因の第一位は自殺” 等々に顕れている、生き難さにあえいでいる目立たない人々、「難民」の時代であると言っていいと思います。

 「その実が良いか悪いかによって、実の木の善し悪しを見分けなさい」とイエスは語ります。これは明らかに譬喩であり、聖書の記事には何が“悪い実であり悪い木”であるのか、具体的には記録されていません。当時の社会状況への想像力を働かせれば、支配するローマやヘロデ王や神殿の支配者たちから課せられている重税、神殿税、捧げ物の義務により「貧しい者」が大量に量産され、浄い人と浄くない人のランク付け、ラベリングが行われ、服従・追従しきれずに病む人々への容赦ない排除、分断、迫害が行われていたわけですし、おそらくイエスはもっと具体的に「悪い木」と「悪い実」について具体的に例を挙げて語っていたと思われます。

人をありのままでは生き難くさせている支配者たち、大人たち、教師たちに向かって「悪い木」と呼んでいます。「地獄」は決してあの世の地獄の意味ではなく、「悪い木」が、この世の「悪い実」である地獄(ゲヘナ・スラム地区)を作り出しており、「ゲヘナでは蛆が尽きることも、火が消えることもない」マルコ9:48とは、エルサレム城壁における「糞門」の外に広がる「ヒンノムの谷」の姿を現していると思われます。

フィリピンの都市から生み出されたゴミがくすぶり続ける“スモーキーマウンテン、現在のスモーキーバレー”そのままの姿だと思います。日本の産業廃棄物もかなりアジア諸国に押しつけられている現実があります。 

難民とは英語でrefugeeと言うようですが、“後ろ向きに逃げる” “拒否される”が語源のようです。イエスは「ありのままの人間」を「神の子」と呼んでいたし、「ありのままの人間がありのまま生きられる・生かし合える」社会が自然な人間関係、「神の国」だと仮定したら、そこからもっとも遠い、生き難い社会に突入している気がします。たとえ、それがどれほど「便利」な「清潔」な社会に見えたとしても、膨大なリスクの上に成り立っている砂上の楼閣のごとき、“一定の条件に合った人たちだけの快適さ”なのでしょう。

生き難さとしての『難民』。貧困が生み出す「難民」。ウィルスきっかけに防衛の自己判断・自己決定が事実上タブーになり、何が常識なのか、絶えず周囲に忖度しつづけなければならない生き難さを抱えた難民。周囲の人々に「普通の人」と見做されるために神経をすり減らして生活しなければならない「難民」は、私自身も含めて増大しています。

あまりの生き難さに「死」を求め、生き難さを生み出している、できるだけ多くの人を巻き込んで自分と「世」をいっぺんに終わらせようとする銃乱射事件、暴走事件が目立ちます。「仕事を続けられる社会人」であるために、どれほど多くの人々が睡眠剤を含む“向精神薬”のお世話にならなければならない現代社会であることか。薬を飲み続けなければ「正常」を保てない社会は明らかに病んでいます。「ストレス」などという概念ではもはや間に合わない、生き難さが体と心を蝕んでいる「難民の時代」なのだと思うのです。

先週の出来事

片山さつき国会議員の7月13日ツイート「警察庁長官に「奈良県警の情報の出し方等万般、警察庁本庁でしっかりチェックをと慎重に要請致しました。これ以上の詳細は申せない点ご理解を。霞ヶ関を肌で理解する者同士の会話です。皆様の感じられた懸念は充分伝わっています。組織に完璧はありませんが、国益を損なう事はあってはなりません。」これって、霞ヶ関に“国益を守るための陰謀”があるのはあたりまえで、民は知るべきではない、とはっきり言っていると思います。今という時代の政治状況、国家の方向性が、我々一般人が普段思っている以上に「民ひとりひとりが社会の主人公である民主主義」とは真逆の「非民主主義」に大きく傾いてしまっていることを、改めて思い知らされた思いです。

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