20230212 宣教要旨「しんがりに立つ神」イザヤ書52~53章 ルカ福音書4章
本日の聖書箇所
イザヤ書52章 12節 (最後尾 どん底に立つ神)
急いで出なくてもよい。逃げるようにして行かなくてもよい。主があなたがたの前を行き イスラエルの神がしんがりとなるからだ。
イザヤ書53章 3-8節
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 痛みの人で、病を知っていた。人々から顔を背けられるほど軽蔑され 私たちも彼を尊ばなかった。
彼が担ったのは私たちの病 彼が負ったのは私たちの痛みであった。しかし、私たちは思っていた。彼は病に冒され、神に打たれて 苦しめられたのだと。
彼は私たちの背きのために刺し貫かれ 私たちの過ちのために打ち砕かれた。彼が受けた懲らしめによって 私たちに平安が与えられ 彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。
私たちは皆、羊の群れのようにさまよい それぞれ自らの道に向かって行った。その私たちすべての過ちを 主は彼に負わせられた。
彼は虐げられ、苦しめられたが 口を開かなかった。屠り場に引かれて行く小羊のように 毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように 口を開かなかった。
不法な裁きにより、彼は取り去られた。彼の時代の誰が思ったであろうか。私の民の背きのために彼が打たれ 生ける者の地から絶たれたのだと。
マタイによる福音書7章1節
「人を裁くな。裁かれないためである。」
(裁かれるのはわたしひとりで充分である)
ルカによる福音書4章 16-21節
それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が手渡されたので、それを開いて、こう書いてある箇所を見つけられた。「主の霊が私に臨んだ。貧しい人に福音を告げ知らせるために 主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは 捕らわれている人に解放を 目の見えない人に視力の回復を告げ 打ちひしがれている人を自由にし 主の恵みの年を告げるためである。」イエスは巻物を巻き、係の者に返して座られた。会堂にいる皆の目がイエスに注がれた。
そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
ルカによる福音書4章 28-30節
これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。
宣教要旨「しんがりに立つ神」
イエス・キリストは固有名詞ではなく、イエスは私にとってのキリスト・救い主、という、わたしはこう信じている、という信仰のことばです。イエスとキリストの間には、実は中点だけでなくすごい幅があるわけです。
讃美歌に「この人を見よ」がありますが「この人」のイメージは千差万別、皆違います。絵画や銅像や小説や映画などで描かれるイエス像も皆違います。福音書にも違いがあります。
(イエスの召命観)イザヤ書53章で受難のメシア像が描かれています。
ナザレという村に育ち、イスラエル伝承の神との真剣な対話に生きていたと思われるイエスが、神からどのような命令を受け取ったのか、それはイザヤ書53章に記されている「人々の病と痛みを引き受け、軽蔑され人々に見捨てられ、終には罪人として刺し貫かれ、打ち砕かれる役割」を引き受けよという命令を自らの運命として受け取ったのでしょう。なぜこんなトンデモナイ命令を受け取ったのでしょうか。
ヨナ書があります。神さまからのトンデモナイ命令を受けて、冗談じゃない、やだやだと逃げ出した預言者でした。大きな魚に飲み込まれ、吐き出されてから神の命令に従うのですが、神さまの命令との葛藤が記されている私も大好きな書です。ヨナ書も明らかにイスラエルの選民思想を批判しています。
(ナザレ村の宣教)ルカ4:21 ナザレ村の会堂でイザヤ書を読み「この言葉はあなた方が耳にしたとき実現した」とは、イエスがイザヤ書53章の受難のメシアを引き受けて歩み出したことを示しています。しかもてっぺんにいるはずの神がしんがりに降りて、しんがりに追いやられた人々をこそ大事にするという、イスラエル人というプライドも吹き飛ばすメッセージは強烈で、神殿のある都から遠く離れたナザレ村の人々ですら怒りだして、イエスを崖から突き落とそうとしたのでしょう。
(上下の感覚)
王様や血縁に基づく一族や天皇や将軍から平民市民、非人、捕虜や奴隷に至るまで縦の力関係や貴賤関係を作りますし、様々な神仏における信仰でも、煩悩を解脱したとか、聖なる神に近い清らかな人とか、悟った人とか、一定の条件に達したエライ人等、上下関係、前後関係を観念の中で作り出すわけです。救われるためには、エライ人を目指して上へ上へと昇り続けなければならないわけです。それは上昇志向となり、同時に自分のポジションは下の人よりも上だという安心を得るための傲慢さが生み出されます。
因みに、日本では列の最先端を「あたま」「おかしら・首席」、最後尾を「しんがり」という表現がありました。しんがりは漢字では「殿」で、おしりの臀部の臀の字と同根の字らしい。「どん尻」です。武士の社会では兵隊が先陣を切って敵とぶつかり、殿さまとはしんがりにいて指示を出し、兵隊みんなで最後まで守らなくてはならない大事なおしりだったのでしょう。
モーセの十戒以降の、何百と作られた律法も、清らかさ、正しさを保つための法が多く、みんな天の聖なる神、上をめざしたわけです。しかしイザヤやイエスは、この上下関係を作り出し、しかも下に置かれた人々を同じ人として扱わず差別し助け合うべき人間関係からはじき出している現実に対して神が立ち上がり、しんがり立って、貧しい人をこそ後ろから支えてくださる、とのメッセージを発信しました。
人間が作る上下関係をそのままにして「神は上のものを招くけれども、最後尾にも手を差し伸べてくださる」というのなら、神の愛の大きさを示すものとして多くの人に受け入れられやすかったのですが、逆に「神は最後尾に降り、しんがりを「こそ」大事に守り支えてくださる、人間にはできなくても神が上下をひっくり返してくださる、預言者たちもそのように用いられてきた、というどんでん返しの宣言は、上を目指して努力している人々には受け入れ難いものでした。
(選民思想)
自分たちアブラハムの血統・子孫であるイスラエル民族は、神に選ばれた民であるという選民思想、プライドは譲れないものでした。今日の言葉で言えばナショナリズム、全体主義なのでしょう。そんなプライドに対して、『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」などとイエスはサラッと言うわけです(マタイ3:9)。日本で日清戦争から太平洋戦争に至るまでの間、アジア・大東亜のトップとなる選民思想と熱狂に浸りきっていたわけです。もしも「日本人こそ神に選ばれた民であるなどと思ってもみるな。神はこんな石ころからでも天皇や大和民族をつくりだすことができる」などと語る人がいればたちまちなぶり殺しになるか処刑されたと思います。
イエスのメッセージや行いは、それまでの選民思想に基づく神理解や、天動説で生きてきた人々が地動説を知らされたときくらいの驚き、コペルニクス的転換(コペテン)、どんでんがえしの衝撃があり、えらい人々からは危険な非国民、危険な思想と見做されたわけです。
(いのち一つ一つと)全ての命は神が吹き込んだ神のもの、神与え神が取り上げるもの、全ての命が神の栄光を顕し祝福されているという理解は、イエスのマタイ福音書6:26-29の「空の鳥を見よ 野の花を見よ」「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」とは、神は生命の種類と向き合うのではなく、動物であれ植物であれ昆虫であれ一つ一つの「いのち」それぞれ向き合ってくださるというメッセージであり、創世記9:9-11でも、人間たちとの契約と全ての動物との契約が等しく語られており、人間が神にとって特別ではないというメッセージです。
(人権思想)長崎、五島列島の教会を何度か訪れましたが、江戸時代、東まわりで入ってきたキリスト教があれほど広がり浸透し、激しい弾圧にもめげず隠れキリシタンとなり、宗教儀式を隠してでも信仰を続けたのか、そのもっとも大きな確信は、世の中のしんがりに追いやられた一つひとつのいのちを「こそ」、神がどん底に降りてきて招いてくださるというメッセージに触れ、神を中心とした人権思想、一人ひとりの尊厳を確信したからだと思うのです。
(排他的な国をつくるつもりではなかった)
ホセア書2章「我々は生ける神の子と言われる」とあるように、イスラエル民族は父なる神の子という認識がありました。イスラエルの語源は神と取っ組み合うヤコブに由来し、黙って従うのではなく、神との葛藤を含む一対一の対話に生きる民という意味が含まれていたと考えられます。マルティン・ブーバーというユダヤ教の神学者が、神は「対話の神」であるというのも同じ意味です。(神の子)はイスラエルと同義でヤーウェ、「神とともに歩む民」を表す言葉でした。
モーセに導かれ奴隷状態から解放されたイスラエルの民が、マナに養われ辛うじて生き延び、流浪の旅の結果、ヨシュアに導かれてカナンの地・パレスチナに共存を目指してあちこち分かれて入植したわけです。ヨシュア記では、華々しい戦いと戦果の結果、12部族が夫々の土地を獲得していった、神に土地を与えられたように記されていますが、日本の天皇神話のような、後の時代の歴史記述に似て、実際はそんな武力もなく、強い兵士たちであったはずもありません。もしも戦いで土地を獲得しようとしたなら、戦略的にも12部族がまず一つの国作りを必ずしたはずです。それがあちこちの土地に部族毎に分かれてはいっていったのは、その社会の底辺に置かれた人々と連帯しながら(エリコにおける最下層の女性ラハブの手引き)、明らかにあちこち空いた土地に入植し、それぞれの土地で、先住民と仲よく共存するためだったと思われます。しかし、やがて定着した後に、土地争いや排斥運動などが起こり、王を中心とした強い国家を求めるようになり(我々には王が必要だ サムエル記上8:5)、もともと土地を所有したり登記しなかった遊牧の民が土地を所有し、北イスラエル王国が滅んだ後も戦争に明け暮れ、イザヤなどの預言者たちが警告していたにもかかわらず(イザヤ書2:4-5(武器を農具に変えよ)大国に敗れて国を失い、連行され、かつてのエジプトでそうだったように他国の奴隷状態となり、信仰もプライドも失いかけたとき、二つのメシア像、そして二つの神の子概念に分かれたと思われます。
(神の子)
① 「神の子」とは、父なる神にいのちを吹きこまれた人間としてのプライドを表し、信仰とは父なる神を誇ることであり、自分たち民族や強い国を誇ることではなかった。捕囚は神から与えられた悔い改めの期間。他国や他民族と共存を目指し力(武器)であらそってはならない。
② やはり我々を守ってくれる強い国が必要。神はこの惨めな状況から救い出し、ダビデ王のような強いメシアがイスラエル王国を守ってくれる。「ダビデの子」メシア=神の子という概念が生まれます。
イエスに対して「神の子イエスよ」という呼びかけは国の指導者への期待が込められていたわけです。それに対してのイエスの切り返しのひとつが「人の子」だったと思われます。
イエスは地の民や徴税人や穢れ人とされた病人やハンディを背負っている人々に更に重荷を背負わせている「りっぱな人々」に向かって「神の子になにしてんねん!」と叫んでいたと確信しています。
(イエスは革命家だったか)
イエスたちの活動に、多くの人々が集まり、国に対して反乱を起こし支配者たちを倒して新しい国を作ってほしいという、いわば革命のイメージを、イエスの「神の国」に求めた人々も多かったと思われます。イエスが小さなロバに乗ってエルサレムに入城したとき、ホサナホサナと歓喜の声を挙げた人々の声にもその期待はあったと思われます。イエスは自分が捕まって殺されることを仲間にも告げていましたが、仲間には理解不可能で受け入れられなかった。
捕まるその時は「私はイエスなんぞ知らない」と言って逃げなさい、と言い続けていたと思われます。国に対して反乱や革命を起こしたと決定されれば、その仲間たち、同調者たちへの執拗な捜索と摘発が続くわけです。中にはイエスが殺されたことをきっかけに新たな反乱を企てる人々も現れる可能性もあったはずです。逮捕者をイエスひとりで止めるため、暴動を防ぐためにイエスは悩んだと思うのです。ユダは全体の会計を預かっていた、イエスや仲間たちの信頼が厚かったとされる人です。ヨハネ福音書13:27によれば、最後の晩餐で、イエスがパン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダに与えた。ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言ったとあります。
スイスの神学者カールバルトは「ユダはイエスを十字架に架けキリストにする重要な役割を果たした人物であり「神の使わした者」だと言っています。すると、果たした役割は「もっとも信頼していた仲間にすら裏切られ、お金で売られたみじめな反乱指導者」というイメージ作りだったのではないか。十字架上の最後の叫び、「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ」(神はなぜ私を見捨てられたのか)は、小さい声の呟きではなく大声だったからこそ記録として残ったと思われますが、惨めな、あざわらいの対象となることをイエスが演出し、そのことによって、イエス以外の追従者たちを危険視する必要すらない、と思わせることに成功したのだと思うのです。いずれにせよ、イエスを中心として大きな反乱が起きてもおかしくない状況で、イエスひとりの十字架で終わらせたこと自体が奇跡に近いと感じます。
私が他の牧師たちとイエスについて話をしたとき、いわゆる福音系の牧師から「あなたは革命家イエス論者ですか」と言われ、関係が冷ややかになったことが何度かあります。反乱にせよ革命にせよ、世を裁き否定し新たな権力を得るために戦いを挑むことです。
「人を裁くな。裁かれないためである」マタイ福音書7:1は、「裁くな、許せ」という文字通りの言葉であると同時に「裁くのは神が行うこと」「革命は神が行うこと」
「裁かれるのはわたしひとりで充分である」という受難の僕イエスの声を感じるのです。
追従しようとしている仲間たちや、「わたしたち」に、「逃げなさい」「捕まっても、あんな男は知らない、と言いなさい」と言い聞かせながら、一人で十字架に向かわれたことを繰り返し受け止め続けたい。
それぞれの人にとっての「イエス像」を交流交換し会える教会でありたいと願います。