20230730 東淀川教会 礼拝宣教要旨「封建制・殿と捨て駒」マタイ福音書10章34−36節
聖書箇所
マタイによる福音書10章 34〜36節
「私が来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
私は敵対させるために来たからである。人をその父に 娘を母に 嫁をしゅうとめに。 こうして、家族の者が敵となる。
ヨハネによる福音書2章 4〜5節
イエスは母に言われた。「女よ、私とどんな関わりがあるのです。私の時はまだ来ていません。」
母は召し使いたちに、「この方が言いつけるとおりにしてください」と言った。
マルコによる福音書3章 31~35節
イエスの母ときょうだいたちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
時に、群衆がイエスの周りに座っていた。「御覧なさい。お母様と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、
イエスは、「私の母、私のきょうだいとは誰か」と答え、 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここに私の母、私のきょうだいがいる。
神の御心を行う人は誰でも、私の兄弟、姉妹、また母なのだ。」
宣教要旨「封建制度・殿と捨て駒
本日の最初の讃美歌1編30番
1「朝風静かに吹きて 小鳥も目覚むるとき 清けき朝の息吹に 浮かぶは神の思い」
2「ゆかしき神の思いに 溶けゆく 我が心は 露けき朝の息吹に 息つく野辺の花か」
3「輝く常世の朝(あした)我が魂(たま)目醒むるとき この世の朝より清く 仰ぎ見ん 神の御顔」
この歌詞は、生活を取り巻く美しい自然(天然)に生きた神を感じる、神に生かされて今がある、万物と我を生かしている、やがてこの世を離れて、生ける神のもとに帰ることのできる喜びを 歌っていますが、とても日本的、アジア的な感性だと思います。それは、自然を開発し資源を利用し便利に管理し支配してきた西欧的な、人間中心の自然観とは全く異なる感性だと感じます。日本人もどんどん西欧化し、自然の中に神を見出す感性は“汎神論”として退けられ、こういった讃美歌が現代教会の中でもあまり歌われなくなっていることに、実はとても大切なものを失いかけているような実感を覚えるのです。
戦国時代を舞台にした大河ドラマが人気です。老若男女関係なく、国盗り物語、戦争に血が沸るのでしょう。ヒーローや美女たちが織りなす物語は楽しいものですが、名を残すこともない、数千、数万と集められた雑兵たち、捨て駒の一人ひとりのいのちの軽さについて、つい考え込んでしまいます。
戦後の民主主義教育で育った私たちは、戦前戦中の封建制、家父長制などもう古い、などと思った記憶がありますが、社会の根幹には深く根付いており、現代社会では、むしろ強固な「全体主義・全体あっての個」「国体主義」として社会全体を覆っている感があります。
封建制とは、本質的に王様と捨て駒、支配者と民草の関係なのだと思います。イエスの時代もなかなか強固な封建制でした。国家あってのイスラエルの民という感覚、家父長あっての家族体制、子は親に服従すべきで、親は国、王に服従しなければならないという精神的圧力は強かったし、子は親の所有物として、商品、奴隷として売られても従うしかないし、王からの徴兵の指示があれば、子を兵士として差し出すのが当然の義務だったはずです。
イエスはこの服従システムに対して、神に対する信仰に反するものとして真っ向から否定し、目に見えない支配のための鎖を断ち切り続けたと思います。父子関係や母子関係、家族関係の網目すら、必要に応じて断ち切ります。そのイエスの姿勢が如実に残されたのが本日取り上げた聖句です。(母に対する「女よ」の応答も、反社会的なイエスたちの活動を、家族を利用して押さえ込もうとしたナザレ地方の有力者たちの目論見に対するイエスの応答も、戦闘的です)。
明治以降の日本は、王(天皇)に服従する民草、という軍事国家体制を目指し、江戸時代までの、一部の人々が継承していた、殿様のために命懸けで仕える“武士”の忠孝・忠臣思想を国民の倫理として継承させた。表向きは親を傷つけたり殺した場合に罰則が加重される尊属殺人制度は無くなりましたが、子(大人)が罪を犯した場合の親の責任追及はマスコミによってなされ続けています(すすきの頭部切断事件)。
現代日本社会は封建的な全体主義にますます傾き、弱者収容差別、血統や学歴による選別体制、かつてのナチスのような、民族排外差別体制・臨戦体制、武器としての核の保持国家に突き進んでいるように感じられます。
表向きは民主主義社会を看板に掲げながら、内実の封建思想は、一歳歳上が一歳年下の生徒に対して偉そうにする小学生にも継承されている。社会的弱者を「役立たず」と罵る子どもたちに継承されている。
教会の中でも、このイエスやその仲間たちの戦闘性はますます語られなくなっているように感じます。
先週の出来事
四十度を超えそうな暑さは、人間だけでなく、昆虫や動植物にも大きな影響を与えているはずです。奇妙なオゾましい現象や事件事故が人間界で続いています。「こりゃあ、人間の脳みそもきっと、ユダっちまってキレてしまって、暴走しかけているのではないか」と、不安になったりもします。
「そうだ! 人間が悪いんじゃない、暑さがいけないんだ! 秋になればきっと忘れる」と自分にマインド・コントロールすれば、あんがい平安な気分を取り戻せるのかもしれません。