20230723 東淀川教会 宣教要旨「白く塗りたる墓」

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本日の聖句

マタイによる福音書23章 25〜32節
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、杯や皿の外側は清めるが、内側は強欲と放縦で満ちている。
ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側を清めよ。そうすれば、外側も清くなる。
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。
このようにあなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法とでいっぱいである。
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしている。
そして、『もし先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流す側には付かなかったであろう』などと言う。
こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫だと、自ら証明している。
あなたがたも、先祖たちが犯した罪の升目を満たすがよい。

ルカによる福音書11章 43〜44節
あなたがたファリサイ派の人々に災いあれ。あなたがたは、会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好んでいる。
あなたがたに災いあれ。あなたがたは、人目につかない墓のようなものである。その上を歩く人は気付かない。」

 

 

宣教要旨「白く塗りたる墓」

「白く塗りたる面(つら)」であれば、歌舞伎絵みたいで「面白い」のですが、イエスが批判している「エライ」人々が塗り立てた「白く塗った墓」とは、彼らが耳を傾けず、迫害し、天に召された故人、エリアやイザヤやエレミヤなどの預言者たち、その生きた姿を隠す白色であり、追悼しているふりをしている「エライ」人々の後ろめたさを隠し、彼ら自身を飾る手段でしかない、偽善的な「白」です。

 ファリサイ派やサドカイ派や律法学者に対して、イエスが積極的な攻撃を仕掛けているわけではなく、イエスたちを貶めるために仕掛けてきた論争に応答するかたちで語られた言葉だと思われます。「あなたがたは、人目につかない(埋もれてしまった)墓のようなものである。その上を歩く人は気付かない。」(ルカ福音書11:44)とは、本気で批判する意味も価値もない、という態度だったのでしょう。むしろ、こちらの発言の方が彼らを怒らせていると思われます。

現代の「白く塗りたる墓」の一つは日本の「司法」の世界です。 2023年3月再審開始となった袴田事件(1966)。袴田巌さん87歳。多くの事件で初期捜査段階の「目星」がひっくり返ることはまずないし、目星に沿う形で自白強要が長時間行われ、状況証拠や証言が「選択」され、あってはならない「証拠捏造」すらも起こってきた。捜査段階での全面記録、証拠の全面開示すらまだ実現していない。検察官は公益の代表者(公僕)として事案の真相を明らかにする職責を負っており、裁判の結果に影響を及ぼす証拠について有利不利を問わず法定に出す義務を負っているはずだが、それすら実現していない。司法全体が“白塗りの墓”のまま、過ちを認めず、袴田巌さんの死と、「うやむや」を狙っていると感じられる。そこまでして守ろうとしている名誉・権威とは何だろうか。

 もう一つの「白く塗りたる墓」とは、社会的弱者に対する「福祉」「医療」の世界です。東淀川教会に通われている就労外国人の現状も、精神障害・身体障害(児)者、介護を必要としている車椅子生活者や高齢者の現状をお聞きしても、「生存最低限の支援」すら危うくなっていると感じられます。行政の対応や説明も、医療・介護システムも、「きれいごとの白いペンキ」ばかりで、どこにも「安心」は見当たりません。家族による介護が困難な社会的弱者や、一人住まいが困難な高齢者を、をベッドが余っている地域の精神病院に収容して、退院は「死亡退院」のみ、という現実が静かに広がっています。

 現代の“白く塗りたる墓”への醒めた視点と、私たちの身近なところで起きている「非人道的な扱い」に対する抗議の声をともにあげ続けたい。

 

 

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