20230806 聖霊降臨節第11主日礼拝 宣教要旨「過ちは繰り返しませんから」マルコ福音書14章32−43節

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聖書箇所
マルコによる福音書 14章 32-43節
一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「私が祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく苦しみ悩み始め、
彼らに言われた。「私は死ぬほど苦しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」
少し先に進んで地にひれ伏し、できることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈り、
こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取りのけてください。しかし、私の望みではなく、御心のままに。」
それから、戻って御覧になると、弟子たちが眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。一時も目を覚ましていられなかったのか。
誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心ははやっても、肉体は弱い。」
さらに、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。
再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたが重くなっていたのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。
イエスは三度目に戻って来て言われた。「まだ眠っているのか。休んでいるのか。もうよかろう。時が来た。人の子は罪人たちの手に渡される。
立て、行こう。見よ、私を裏切る者が近づいて来た。」
そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二人の一人であるユダが現れた。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。


宣教要旨「過ちは繰り返しませんから」

「ゲッセマネの祈り」 
真夜中に行われたイエスの行いは、まず、イエスの側に立つ人々と反対派との争いを避けること、イエス以外の逮捕者を出さないこと、そして、行動をともにしてきた仲間たちや追従する人々に、イエスを見切って逃げさせることが目的だったと思われます。ペトロ、ヤコブ、シモンを通じて、「イエスこそ、泣き言を言いながら逃げ出したがっている。あんなリーダーは見切った方が良いかも」と思わせることに成功しています。イエスはあらかじめ申し合わせていたユダが敵対する人々を引き連れて到着するのを待っていたのでしょう。

「神は誰も見捨てない」「神は世の最後尾に立たれる」
イエスは誰かが犠牲になる事態を徹底的に避けたのでしょう。
「多少は犠牲がでるのは止むを得ない」「抵抗力のない弱い者が死んでしまうのは仕方ない」強者や強者の側に立とうとする者が自分を合理化するためにする呟き。
イエスが伝えたのは「誰も見捨てない神」でした。アッバなる神の言葉に従い「誰も見捨てない」ために「イエスだけが見捨てられる」役割を担われたのです。それがイエスの十字架です。

イエス自身が、これ以上ない、惨めで哀れで情けない姿を演出し(十字架上の叫び エリ ,エリ…も同様の演出)、仲間意識やイエスに対する忠誠や期待を捨てさせ、仲間たちや周囲の人々を積極的に逃げ出させ、更には反乱罪などを使った「イエスの仲間狩り」を免れさせようと図ったとしか思えないのです。

ゲッセマネの祈りも大転換点でしたが、広島長崎の原爆も大転換点でした。
1945年8月6日午前8時15分広島市地上600mで炸裂した原子爆弾は1日の生活や活動を始めた老若男女12万人の命を街とともに焼き尽くし、三日後の8月9日午前11時02分には長崎市上空で炸裂し7万人の命を焼き尽くした。軍人や戦闘機や軍艦などを叩く攻撃ではなく、まだ空襲の被害を受けておらず原子爆弾の威力を確認し実験データの取りやすい平坦な市街地が選ばれました。米国の「広島・長崎被爆があったから日本は戦争を終わらせることができた」は後ろめたさを隠すための欺瞞でしょう。
 現在の核弾頭保有国(ロシア 米国 フランス 中国 英国 パキスタン インド イスラエル 北朝鮮) これに軍事力先進国として加わろうとしている日本の強い意志があると思われます。
 福島原発事故の非常事態宣言はまだ続いています。3基がメルトダウンし格納容器内に燃料デブリとなって残されたまま、極めて強い放射線が出ていて人は近づけず、政府・東電は遠隔操作で、最長40年、2051年までにすべて取り出すことを、廃炉の目標に掲げていますが、それまでに大きな地震があれば、880トンのデブリは格納容器を突き抜ける大きな事故が危惧されています。

 原発事故の収束もできないまま、原子爆弾の材料であるプルトニウムの取り出しを計画しているのではないでしょうか。
 廃炉が決まった「もんじゅ」に象徴される高速増殖炉計画は、頓挫しているにも関わらず、青森県六ヶ所村 核燃料再処理工場を稼働させようとしています。核爆弾の材料となるプルトニウムを取り出すことが目的としか考えられません。 
 今朝早くから原爆死没者慰霊碑前のセレモニーが始まっていました。
慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。この碑文は、すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉だと解説されています。式典における岸田首相の、日本語になっていない、パフォーマンスだけの言葉が朝から流れていましたが、「聴いちゃあおれん!」「安らかに眠ってはおれませぬ」と死者たち、ガイコツたちが地下から起き上がり、「つまらんぞー おえんぞー」と叫び、チャカポカチャカボカ踊りながらデモ行進をする姿を想像しました。

“安らかに眠ってはおれぬ死者とともに戦う”ことが、十字架のイエスとともに戦うことになると思います..

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