20230917 東淀川教会礼拝 宣教要旨「断食の意味」ヨナ書3章4-6節 マタイ福音書9章14-15節

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聖書箇所

ヨナ書3章 4-6節
ヨナはまず都に入り、一日かけて歩き、「あと四十日で、ニネベは滅びる」と告げた。 (4) すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、大きな者から小さな者に至るまで粗布をまとった。 (5) このことがニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がり、王衣を脱ぎ、粗布を身にまとい、灰の上に座った。

マタイによる福音書4章 1-2節
さて、イエスは悪魔から試みを受けるため、霊に導かれて荒れ野に行かれた。 そして四十日四十夜、断食した後、空腹を覚えられた。

マタイによる福音書6章 17-18節
あなたは、断食するとき、頭に油を塗り、顔を洗いなさい。 あなたの断食を人に見られることなく、隠れた所におられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」

マタイによる福音書9章 14-15節
その時、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「私たちとファリサイ派の人々はよく断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言った。 すると、イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客はどうして悲しんだりできるだろうか。しかし、花婿が取り去られる日が来る。その時、彼らは断食することになる。

宣教要旨「断食の意味」

そもそも「断食」という習慣は中央アジアを含めた東側のものだと思われます。
 日本もですが、東洋での断食は心身のリセットであり、意識(頭)中心から離れる(頭を取る)ことが重要なポイントです。西洋での断食は主にダイエット目的が中心ですが、あまり行われていません。頭・自我・意識中心の西洋文化には、「意識から離れる断食」は合わないのでしょう。

 心身のリセットは根本的な免疫力回復目的です。今日よく断食道場などで行われている断食には、一週間コース、二週間コース、一箇月コースなどの断食道場があります。イエスの40日40夜の断食というのは、一人で行うにはギリギリのコースと思われます。ご希望があれば、安価で安全な断食道場をいくつかご紹介します。

 先日の報道で、ケニアにおける400名の断食死亡事件は、セクト主義のなれの果てであり、集団による熱狂を利用した明らかな犯罪です。グッドニュース・インターナショナル教会(通称はグッドニュース宣教会)のリーダーはポールマッケンジー50歳。逮捕収監され、獄中でしっかり食事を摂っています。グッドニュース宣教会の教祖は朴王洙パクオクソー、「終末」を叫ぶ熱狂集団で世界各国に支部があり、日本にも神戸をはじめ10教会ほどあります。ご注意ください。

 カルトって危険なレッテル貼りにもなりますが、いかなる集団、結社であろうと、人の出入りや取材が自由で、教義や組織や人事とお金の流れがオープンになっていれば、攻撃すべきではない。今日の“カルト”、“マインドコントロール”が、違和感を感じる集団に対する断罪、悪のレッテル貼り、歴史上の魔女狩り裁判と同じような、自分たちを「正しい者の側の人間」と思いたい人々の“熱狂”を生み出していることを憂います。

遊牧民から始まり、アジアの西のはてで広まったユダヤ教の根本は東洋的人間理解だと感じています。「神」表現は民族や部族や国家によって全て違います。人間の頭の中で作り出した「言葉」や「概念」で、普遍であり永遠である神を表現してはならない、という「わきまえ」が、「神の名をみだりに呼んではならない」に繋がります。自分たちの神理解、神表現を他者に伝道と称して押しつけるのは「暴力」となります。

 モーセの十戒のひとつに「あなたの父母を敬え」があります。日本の教会は日本の家族観のもとにこの戒めを、肉親の父母に対する戒めとして喜んで受け入れましたが、私自身ずっと違和感がありました。これは本来、「人の父母である神を敬え」であり、マタイ福音書23章9節「地上の者を父と呼んではならない」とのイエスのメッセージが本来の「戒め」を指し示しています。イエスのメッセージも元々は「地上の者を父・母と呼んではならない」だったと思われます。母マリアに対する「女よ」とも重なります。イエスの神への呼びかけ“アッバ”とも重なります。アッバは日本語のおとうちゃん、おかあちゃんの「ちゃん」に相当する、保護者である親への呼びかけの幼児言葉と理解しています。

 すこし突っ込んだ聖書解釈かもしれませんが、すべての「人」は神の子であり、すべての「生命」は神の息による(創世記2章7節)もの。全ての生命がそこから生まれ、そこに帰る唯一の抽象概念「神」を、人の作り出した方言、言葉で表現してはならないのであり、万民の父・母こそ敬われるべきであり、親である神を呼ぶのなら、それぞれの“アッバ”で呼ぶべき。万民は時を超えてみな神の子であり、兄弟姉妹として助け合うべき、が主要なイエスのメッセージでした。

 共観福音書で描かれる、イエスこそ「メシア」、「救世主」、「神の子」という初期キリスト教会の最も主張したかったメッセージが、イエスの「全ての人は神の子」というユダヤ教本来の人理解を掘り起こしたメッセージであり、「あなたがたはこの神の子らに対してなぜ差別し疎外し重荷を負わせているのか!」というイエスのメッセージをかなり消してしまっていると思われます。

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