20230924 東淀川教会礼拝 宣教要旨「こどもたちは希望」エレミヤ書31章 マタイ福音書2章16-18節

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聖書箇所 

エレミヤ書31章15〜17節
主はこう言われる。ラマで声が聞こえる 激しく嘆き、泣く声が。ラケルがその子らのゆえに泣き 子らのゆえに慰めを拒んでいる 彼らはもういないのだから。(15)

主はこう言われる。あなたの泣く声を 目の涙を抑えなさい。あなたの労苦には報いがあるからだ――主の仰せ。彼らは敵の国から帰って来る。(16)

あなたの未来には希望がある――主の仰せ。子らは自分の国に帰って来る。(17)

マタイ福音書2章16〜18節

さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、激しく怒った。そして、人を送り、博士たちから確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいる二歳以下の男の子を、一人残らず殺した。(16)
その時、預言者エレミヤを通して言われたことが実現した。(17)
「ラマで声が聞こえた。激しく泣き、嘆く声が。ラケルはその子らのゆえに泣き 慰められることを拒んだ。子らがもういないのだから。」(18)

宣教要旨「こどもたちは希望」

 こどもたちが、子ども同士や動植物や自然と無邪気に遊んでいる姿は、誰にも元気を与えます。
 子どもたちの声がやかましいから家の近くに保育園などが来てほしくない,などの意見もあるようですが、これは、(HSP・HSC)などと表記される過敏症などが広がってしまった社会的病理の結果と思われます(多くの過敏症の方々が、自分が病んでいると認識せず、過敏になっている原因や過敏を引き起こす対象物を攻撃し、社会を毛羽立たせています)。本来、こどもたちの生き生きとした姿は心が安らぐものであり、自分たちが死んで、この地上からいなくなっても、未来に向けて残る希望です。

 ヤコブの妻、レアとラケルたちからイスラエル12部族が生まれたことになっています。 「ラケルの嘆き」とは、歴史を超えて、子どもたちが取り去られる、奪われることへの、イスラエルの民の嘆きを象徴的に表現している言葉です。

 12部族は北イスラエル10部族と南2部族に分かれ、互いが同じ信仰の元で助け合うこともなく対立し合い、北10部族は更に北のアッシリアに滅ぼされ、更に南ユダ王国もバビロンに滅ぼされバビロンの奴隷状態となったことを、「子を失った母ラケルの嘆き」として表現しているようです。

 子どもたちの受難は今も続いています。今のロシア・ウクライナ戦争でも対人地雷が大量に敷設されています。これまでの民族紛争でも、直接の砲撃だけでなく、地雷によってこどもや住民の手足がもぎ取られています。安価な武器で敵対する相手国の子どもや大人の養護者を増やして難民化させるという、ダメージの与え方としてはあまりにエゲツナイことが今も繰り返されています。

 古代。エジプトの王が奴隷の反乱を押しつぶすためヘブライ人の赤ん坊の皆殺しを命令した、モーセが生き延びたとの記事もあります。

 歴史的な記録はないが、ヘロデ大王の子殺し事件(ベツレヘム周辺の村の赤ん坊 数十人?)も新約聖書にあります。いずれにしても、子どもたちが大量に奪われることは、人々の希望を粉々にしてしまう、阿鼻叫喚の地獄絵に違いありません。 

「ビバント」というドラマを観ました。大評判なので知っておられる方も多いでしょう。「Vivante」 福澤克雄監督(「私は貝になりたい」の監督)の主要なメッセージ が、バルカ国「テント」の代表ノゴーン・ベキ(緑の魔術師)によって語られていると思います。ユーラシア大陸の東側と西側の接点に設けられた架空の国バルカ。イスラム勢力・ロシア正教・モンゴル仏教・中国共産主義の4勢力争いと内戦が続くこの国で孤児たち、こどもたちを守り育てるシステムを作りあげたのが、テロリストの汚名を負わされている、メインキャスト乃木憂助の父のゴーン・ベキ。彼のドラマ終盤での語りです。

「まだ血を流すつもりか! あの紛争から19年 四つの民族が対立し合ったあの紛争でこの国はいったい何を手にした? 我々は嫌というほど経験してきたはずだ。
 殺し合い、憎しみ合い、数え切れないほどの大事な者を失った。争いは何も生まないと誰もが気付かされた。
 だが紛争の後おまえたちは苦しむ民に手を差し伸べなかった。そればかりか金を持つ者だけを優遇し更に金を求め続けた。人間の欲望には切りがない。愚かな生き者だ。今は世界中がそうだ。誰もが自分だけのことばかりを考え、持つ者と持たざる者との間に大きな分断が生まれた。 日本もそうだ。
  だが、日本では古くからありとあらゆるものに神が宿っていると考えられてきた。神は一つではないという考えがあることで相手の宗教に理解を示し、違いを超えて結婚もする。日本では考えの違う相手を尊重する美徳がある。これからバルカは宗教民族の違いを争いの火種には二度としない。国の富を公平に分け、お互いの宗教民族をお互いに尊重する国になる。
 そんなことは不可能だと人は言うだろう。だが決して諦めない。我々の小さな一歩は子どもたち、更に次の世代へと受け継がれていく。相手を敬い分かち合うことの素晴らしさをこの国に根付かせる。それがいずれこの国の文化となり歴史となる。
 この小さな一歩は新しいバルカを築くための偉大な一歩となる。私はそのためにいままでやってきたんだ。」

 「このようなこどもたちこそ先に神の国に入る」とのイエスのメッセージとともに、この「Vivante」のメッセージを、世界の子どもたちの受難の現実にニブイ「私たち」に向けられたものとして受け止めたい。また、宗教者(宗教セクトの一人)として、各宗教セクトの今も続く争いを終わらせ、子どもたちの未来を守るための責任があることを感じたい。

先週の出来事

 ウクライナ侵攻を続けるロシアのラブロフ外相が、ウクライナが提唱するロシア軍撤退を柱とする10項目の和平計画について「完全に実現不可能だ」と述べ、受け入れを拒否した、とのこと。「戦場で決着を!」の見出しが踊る。ドラマの影響もありますが、“別班”はあるのでしょう。いま『別班』はどんな動きをしているのでしょうか?プヨクとパヨクの精鋭たちが溶け合う時が近いのではとマンガチックに妄想しています。

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