20240204 東淀川教会 礼拝宣教要旨「病名撤回の戦い」ルカ福音書13章31-35節 ネヘミヤ記3章33−35節 マタイ福音書5章27−29節
本日の聖書箇所
ネヘミヤ記3章 33〜35節
サンバラトは、私たちが城壁を再建しているということを聞いて怒り、激しく憤ってユダヤ人を嘲った。 (33)
彼は仲間たちとサマリアの兵士を前にして言った。「哀れなユダヤ人どもが何をするつもりか。再建するというのか。いけにえを献げるというのか。一日で仕上げるというのか。瓦礫の山から石でも拾って使おうというのか。それらは焼けてしまっているのに。」 (34)
そばにいたアンモン人のトビヤも言った。「彼らが再建したところで、彼らの石壁など、狐が登るだけで崩れてしまうだろう。」(35)
ルカ福音書13章31−35節
ちょうどその時、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」 (31)
イエスは言われた。「行って、あの狐に、『私は今日も明日も三日目も、悪霊を追い出し、癒やしを行うことをやめない』と伝えよ。 (32)
ともかく、私は、今日も明日も、その次の日も進んで行かねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。 (33)
エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めんどりが雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。 (34)
見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決して私を見ることはない。」(35)
マタイ福音書5章27−29節
マタイによる福音書5章 27〜29節
「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。(27)
しかし、私は言っておく。情欲を抱いて女を見る者は誰でも、すでに心の中で姦淫を犯したのである。(28)
右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。体の一部がなくなっても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがましである。(29)
宣教要旨「病名撤回の戦い」
現代社会とは「ヘイトの時代」と命名してもいいくらい軽蔑やら憎悪やら攻撃やらの「ヘイト」がかつてないほど横行している時代だと感じています。イエスもまた「ヘイト」の嵐の中で死刑囚として殺されている分けですが、ネヘミヤ書にもヘイトの記述があります。
40年以上のバビロン捕囚からバビロンを滅ぼしたペルシャのキュロス王に帰還を許され、エルサレム神殿とユダヤ国再建を許されたユダヤの人々。祈りの家、神殿の再建、ほとんど廃墟の中に小さな石造りの見窄らしい建物。ネヘミヤは再建のリーダー。それを見て、かつては南ユダ王国から散々な目に遭っていた諸部族から妨害され続けていた。今日でいう「ヘイト」の嵐に襲われた。ヘイトを浴びせる一人ペルシャの役人サンバトラ。いくら石を積み上げてもキツネが通るだけで崩れるだろう、と嘲笑した。「キツネ」は敵対する人々の嘲笑と共にユダの人々の心に刻まれた。イエスの時代。この「キツネ」をイエスはヘロデ・アンティパスに向けて「あのキツネめ!」という語調で攻撃し返している。
ヘロデ大王の死後アンディパスは賄賂を渡すなどしてローマ総督からガリラヤ地方の管理者に任じられた。ヘロデ大王の悪政を引き継ぎ、権力と富の保全のみに心血を注ぎ、異母兄弟の妻を自分の妻とし(律法違反)、悪政を繰り返すヘロデ・アンティパスを非難し悔い改めを求めたバプテスマのヨハネを投獄し、ついには妻へロディアの計略でヨハネを殺した。
そんなアンティパスと結託しながら、神殿側は人々の病気につけ込み、罪名のように病名を付け、神殿祭司に多額の“清めの捧げ物”代金を渡し、病気が清まったとの証明が得られなければ「汚れ人(アムハーレツ)」として自由が得られない仕組みを作り出していた。こうした神殿の裏金は、「汚れ人」たちの行動を監視・制限する兵を送り込むヘロデ・アンティパスにも渡っていたはずである。
40年以上のバビロン捕囚からバビロンを滅ぼしたペルシャのキュロス王に帰還を許され、エルサレム神殿とユダヤ国再建を許されたユダヤの人々。祈りの家、神殿の再建、ほとんど廃墟の中に小さな石造りの見窄らしい建物。ネヘミヤは再建のリーダー。それを見て、かつては南ユダ王国から散々な目に遭っていた諸部族から妨害され続けていた。今日でいう「ヘイト」の嵐に襲われた。ヘイトを浴びせる一人ペルシャの役人サンバトラ。いくら石を積み上げてもキツネが通るだけで崩れるだろう、と嘲笑した。「キツネ」は敵対する人々の嘲笑と共にユダの人々の心に刻まれた。イエスの時代。この「キツネ」をイエスはヘロデ・アンティパスに向けて「あのキツネめ!」という語調で攻撃し返している。
ヘロデ大王の死後アンディパスは賄賂を渡すなどしてローマ総督からガリラヤ地方の管理者に任じられた。ヘロデ大王の悪政を引き継ぎ、権力と富の保全のみに心血を注ぎ、異母兄弟の妻を自分の妻とし(律法違反)、悪政を繰り返すヘロデ・アンティパスを非難し悔い改めを求めたバプテスマのヨハネを投獄し、ついには妻へロディアの計略でヨハネを殺した。
そんなアンティパスと結託しながら、神殿側は人々の病気につけ込み、罪名のように病名を付け、神殿祭司に多額の“清めの捧げ物”代金を渡し、病気が清まったとの証明が得られなければ「汚れ人(アムハーレツ)」として自由が得られない仕組みを作り出していた。こうした神殿の裏金は、「汚れ人」たちの行動を監視・制限する兵を送り込むヘロデ・アンティパスにも渡っていたはずである。
イエスが語る「今日も明日も三日目も悪霊を追い出し、癒しを行うことをやめない!」とは、神殿側が勝手につけた罪名のごとき「病名」のレッテルを剥がし、悪霊(神殿祭祀、ヘロデアンティパス)からの呪縛から解放することだった。イエスたちが、病名をつけられた人々を癒し続けることが、神殿祭司やヘロデ・アンティパスの企みへの反撃であり、囚われ人たちの解放だったと思われる。
神様から息を吹き込まれ生まれてくる子どもたちは、2千年前だろうと今日であろうと何も変わらない。生まれたくで生まれたわけでも、親を選んで生まれたわけでもない。親や周囲の大人たちの庇護のもとに、生まれてきたこと、生かされていることの喜びから多くの子どもは人生を開始する。親にとっても周囲の大人たちにとっても、子は宝であり、神様からのかけがえのない贈り物であることに今も変わりはない。
しかし現代はこの喜びを奪ってしまうほど余裕・ゆとりを失いつつかる社会です。子どもの“商品価値”を高めるための躾や教育という名の訓練を受けることが求められ、偏差値教育は当たり前になり、子どもをせめて大学まで行かせることが親の義務みたいになっています。子どもの商品化が学校で行われ、子どもはそこから逃げられません。こどもの出生率は下がり続け、不登校はますます増え、閉じこもりの子も増え、小中学生からの自殺も増加しています。子どもは子どものままでいたいのに、社会に適応する大人になることを強いられ、それについていけない子は適応障害、発達障害というレッテルが貼られ、特別教室への分離、向精神薬の投与、製薬会社の利益拡大という現実は、イエスの時代と二重写しに見えてならない。
ユルい、ユルす(許す)、ユルユルの語源の和語があります。ゆとりとか、すきま、余裕を示す言葉です。現代社会の中で最も失われているものの一つが「ユルさ」と思います。このユルさを体得するのは自然の中からです。体得する中から自分の歩き方、歩調、頑張り具合と緩め方、休み方、自分の守り方も体得します。
大人も子どもも、この自然から学び直し、自然から元気をいただくところまで戻ることが必要なのでしょう。
先週の出来事
群馬県で、朝鮮人と日本人との不幸な歴史を振り返りながら、新しい関係を模索するための記念碑が撤去されるとのニュース。そこに渦巻いているのはまさに「ヘイト」です。ヘイトに屈して撤去を決めたのは県か市か、いずれにしても愚行ですが、ここまでこの社会が病んでいることのしるしなのでしょう。