東淀川教会20181125礼拝 イザヤ書2:2-5 マルコ福音書4:35-41 

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旧約聖書 Isaiah イザヤ書2章2-5節
2-2 終りの日に次のことが起る。主の家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに流れてき、
2-3 多くの民は来て言う、「さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。 彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。
2-4 彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。
2-5 ヤコブの家よ、さあ、われわれは主の光に歩もう。

新約聖書 Mark マルコ4章35-41節
4-35 さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。
4-36 そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。
4-37 すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。
4-38 4:38 ところが、イエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。
4-39 イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。
4-40 イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。
4-41 彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。

{向こう岸に渡ろう」
イザや書の「「さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう」は、
戦争や争いや多くの過ちの中で、歩むべき道も方向も、にっちもさっちもいかなくなったとき、イザヤは、我らのこれまでの過ちが何であったか、
そして、我らの進むべき道を神に教えてもらおうではないか、聴こうではないか」と隣人たちに語りかける。

 イスラエル民族があらゆる希望を失い、にっちもさっちもいかなくなったときの「山の、神の家に行こう」は、いわばどん底からの祈りであるが、そこには、
これからどう立ち上がり、どう歩み出すかという、「前向き」の祈りである。

 マルコ福音書に描かれるイエスの進もうとしている方向は、 特に弟子たちにとって、決して「前向き」の旅ではない。なじみのない、不明の地である。一説では、いわゆるケガレ、世捨て人や捨てられた人々が多くいる場所。資料によっては、ギリシャ文明の影響を受けて比較的整った町がつくられていた、との説もある。もしもそうであったなら、健康な人々が作る「町」にとって、「危険な、やばい人」は、ガリラヤ湖に近い、遠隔地に
穢れた「地の民・アムハーレツ」 「危険な人々」を隔離するところがあったとするなら、そのうわさは弟子たちにも届いていたと思われる。

 嵐に遭って舟が転覆しそうになったとき、むしろ事故や病気などで死ねたら、
その方が楽だろうな、という感覚はイエスにあったのかもしれない。イエスは舟の中で本気で寝ていたのだろう。 弟子たちの、「私たちが溺れてもかまわないのですか」云々の抗議は、イエスが何のためにどこに向かおうとしているのか、ほとんど理解できてはいなかったと思われる。
 たとえ薄々感じていたとしても、嵐からくる恐怖に「自分の安全こそ第一」という自己防衛だけがむき出しとなる。

 現代社会もまた、「にっちもさっちもいかない」のが実体であり、進むべき方向も、振り返って反省し、悔い改めつつ立ち止まることすらできなくなっている「妙に明るい現代」の病理的実体を感じ続けている。
 神から与えられていた免疫力も失い、防腐剤や着色料やら様々な“毒”が体内あちこちに蓄積し体内で濃縮されている。 更に放射能による汚染も国策によって広められている。 医療や薬を多量消費し、病院が困らないようがん保険に入り、りっぱなモルモットになりながら、なかなか死なない現実がある。二人に一人が癌になるという、実はとんでもないこの現象は、静かに病み続けている、それでも立ち止まれない、立ち止まって祈ることもできなくなった“今”を反映していると感じている。

  今日における「向こう岸」はどこなのだろうか。
さらに、下界(日常生活)から離れ、ともに集い、今までの歩みを悔い改め、
神の声を聴こうとする場所は、いま、どこにあるのだろうか。イエスをキリストと告白する教会は、その場所たり得るのでしょうか。

◎先週の出来事 「釜ヶ崎」や「山谷」などの“寄せ場”をクリーンアップし、日雇い労働者を収容してきれいっぽい建物の中で医療・福祉産業の対象者化し、日雇い就労の場所ではなくす方向に進んでいる。現政権が進めている外国人労働力の積極的導入は、国に対して反抗的になりやすい「寄せ場」を潰すためなのだろうか。

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