東淀川教会 20180805 礼拝 イザヤ11章 マタイ12:33-35 宣教「まむしの子を見極めよ」司式:金田恒孝

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旧約聖書 イザヤ書11章6-9節
11:6おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、
11:7雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、
11:8乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。
11:9彼らはわが聖なる山のどこにおいても、そこなうことなく、やぶることがない。水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである。

詩編140篇1-4節
140:1主よ、悪しき人々からわたしを助け出し、わたしを守って、乱暴な人々からのがれさせてください。
140:2彼らは心のうちに悪い事をはかり、絶えず戦いを起します。
140:3彼らはへびのようにおのが舌を鋭くし、そのくちびるの下にはまむしの毒があります。
140:4主よ、わたしを保って、悪しき人の手からのがれさせ、わたしを守って、わが足をつまずかせようとする乱暴な人々からのがれさせてください。

宣教題「まむしの子を見極めよ」
普段は悪人になりたくはないのに、ある場面で「悪人」になってしまうことはある。その場合は、内なる「悪人」に本人自身がのちのち苦しむことになる。
だが、根っから権力や財力を増やし、隣人への影響力を及ぼしたがり、社会的弱者を意のままに支配したがる「悪人」はどの時代でも必ずいる。現代社会もまた、21世紀の現代もまた独裁者たちによる力争いの時代になり、戦争を防ぐための最大の機関「国連」が経済的にも政治的にも危機的状況を迎えている。

イザヤ書が指し示す「神の国」のビジョンは、「強者」も「弱者」も主なる神に養われ、牧され、ともに活かされている姿、ビジョンである。これも「国連」が目指す最終的なビジョンでもある。
詩編140篇は、「悪人」の自覚のない「悪人」に翻弄され虐げられる「弱い者」の祈りである。多くの人々が入っていく「広い道」ならば、虐げられる苦しみは軽減され、より弱い者を踏み台にしてでも「強者」の側に近づいていくことができる。が、彼らが持っている「毒」に毒されないためには「狭い道」に留まり、主にのみ守られるしかない。

悪人「まむしの子」の見分け方についてイエスが語っている場面である。良い木が良い実を結ぶ、とは、自分がしてほしいことを隣人に行う「木」である。が、悪人は自分にしてほしいことを人にするのではなく、逆にしてほしくないことを「あなたがたのために良いこと」として強制してくる。

現代社会でも同じように毒を持ったマムシたちが乱立し始めた。
それが民主主義を自称していようが、共産主義を自称していようが、共和主義を自称していようが、看板と中身とは関係ない。
「独裁」が世界あちこちでポピュリズムを流布・再生しながら跋扈している。それを見抜きつつ「弱い立場」の者たちが互いを守り合えるようにするための、上からではなく下からのネットワーク作りが火急に求められていると思う。

○先週の出来事
チェルノブイリの立入禁止区域内には、ハイイロオオカミなどの大型動物が数多くいるらしい。癌を引き起こす弱い人間とは異なり、野生性の高い動物(灰色オオカミ)の野性的生命力が放射能の攻撃力をものともず繁殖しているのだろうか。

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