20190707 東淀川教会主日礼拝 ヨナ書4章 マルコ福音書6章 司式 金田恆孝
旧約聖書 ヨナ書 4章3-11節
3 それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。
4 主は言われた「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。
5 そこでヨナは町から出て、町の東の方に座し、そこに自分のために一つの小屋を造り、町のなりゆきを見きわめようと、その下の日陰にすわっていた。
6 時に主なる神は、ヨナを暑さの苦痛から救うために、とうごまを備えて、それを育て、ヨナの頭の上に日陰を設けた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。
7 ところが神は翌日の夜明けに虫を備えて、そのとうごまをかませられたので、それは枯れた。
8 やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」。
9 しかし神はヨナに言われた、「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。
10 主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。
11 ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。
新約聖書 マルコ福音書6章30-31節
6:30さて、使徒たちはイエスのもとに集まってきて、自分たちがしたことや教えたことを、みな報告した。
6:31するとイエスは彼らに言われた、「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
6:32そこで彼らは人を避け、舟に乗って寂しい所へ行った。
6:33ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ、一せいに駆けつけ、彼らより先に着いた。
聖書から聴く 主題「人を避け風に吹かれる場所」
私たちが夜寝るのは、安全な場所で心と体を休めて安らぎの中で眠りたいのであり、空腹時に食事をすると同じように、元気を回復するために必要な、大切かつ不可欠な、生理的な習慣です。普段の心身の疲れはこれで回復できるのですが、たましい(霊、魂)の疲れや混乱や痛みは、寝て回復するものではないようです。
自分自身の痛みのみならず、愛すべき隣人の重荷を自分の
重荷であるがごとく感じ、その先の不安も共有してしまうとき、どこかで、自分の重荷・持ち物と、隣人の持ち物の分類をしつつ、神さまとの語り合いの中で「主なる神による取りなしと癒やし」を求めることが欠かせません。
「人々から離れた、寂しいところ」が実はだれにとっても必要なのだと思うのです。
例えば千メートル以下の山の中で、小さな川の傍で、瞑想したり、お祈りしたり、鮮しい風に吹かれることがとっても重要なのだと思います。
イエスもご自身をリセットするとき、人々から離れて寂しい場所で安息しながら神に祈っていたようです。
そこで行われる神さまとの対話、祈りは、実はなりふり構わない、誰にも気をつかわなくていい場所を確保するのが現代ではとても難しいのかもしれません。
山に抱かれた、小さな川のある場所で、 或いは海に向かう小さな入り江で、或いは人目につかないビルの屋上で、神さまとの対話ができたらどんなにいいだろうと思います。
神さまから逃れようとして神さまに捕まり、悔い改めて神さまに從ったのに、神さまから裏切られ、とうごまの木の下で安らいでいたのにとうごまの葉まで枯れてしまって、“もう死んだほうがましだ!”と神に叫んだとき、不思議な神の声が聞こえてきました。 私たちも一緒に耳を傾けましょう。
それにしても、「あなたの怒るのは、よいことであろうか」というセリフ、とても新鮮な言葉として響きます。感情に振り回されて周囲を攻撃しないではおられない“怒り”、味方以外を攻撃しなければ自分がやられる、みたいな“怒り”が蔓延している今日この頃。普段に使いたいですよね。
○先週の出来事(気になるニュース)
選挙が近づいているのに、“選挙って、なんてくだらない、うっとおしいことなんだ!”と感じて投票に行く気がまったく起きないのです。100人の町があって、100人が出し合う税金の使い道を100人で議論し合い、その使い方をどの政治家に任せるのか等を議論し、政治にも直接関わっていくことができたら、どんなに選挙は大切なものになるだろうとは思うのですが、現代の選挙はつまらないセクト争いのみ。希望など持てそうもない。ただ、「山田太郎」には、このセクト争いを突き破りそうな気配を感じている。