190818 宣教要旨 レビ記11 マルコ7章 宣教題「うんこったれ!」牧仕・金田恆孝
旧約聖書 レビ記11章
42 すべて腹ばい行くもの、四つ足で歩くもの、あるいは多くの足をもつもの、すなわち、すべて地にはう這うものは、あなたがたはこれを食べてはならない。それらは忌むべきものだからである。43 あなたがたはすべて這うものによって、あなたがたの身を忌むべきものとしてはならない。また、これをもって身を汚し、あるいはこれによって汚されてはならない。44 わたしはあなたがたの神、主であるから、あなたがたはおのれを聖別し、聖なる者とならなければならない。わたしは聖なる者である。地にはう這うものによって、あなたがたの身を汚してはならない。45 わたしはあなたがたの神となるため、あなたがたをエジプトの国から導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない』」。46 これは獣と鳥と、水の中に動くすべての生き物と、地に這うすべてのものに関するおきてであって、47 汚れたものと清いもの、食べられる生き物と、食べられない生き物とを区別するものである。
新約聖書 マルコ福音書第7章14-23
7:14 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた、「あなたがたはみんな、わたしの言うことを聞いて悟るがよい。すべて外から人の中にはいって、人をけがしうるものはない。かえって、人の中から出てくるものが、人をけがすのである。(聞く耳のある者は聞くがよい)」。イエスが群衆を離れて家にはいられると、弟子たちはこの譬について尋ねた。すると、言われた、「あなたがたも、そんなに鈍いのか。すべて、外から人の中にはいって来るものは、人を汚し得ないことが、わからないのか。それは人の心の中にはいるのではなく、腹の中にはいり、そして、外に出て行くだけである」。イエスはこのように、どんな食物でもきよいものとされた。さらに言われた、「人から出て来るもの、それが人をけがすのである。すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」。
聖書から聴く 主題「うんこったれ!」
モーセの時代に動物や魚について戒律としてタブーがあったかは甚だ疑問である。エジプトでの奴隷時代、ナイル川周辺にあって、奴隷といえども食べ物は比較的豊かであった。だからこそ、エジプト脱出後の流浪生活の貧しさに民は不平だらけだった。だから「マナ」が降った。食べるものに事欠く、子どもたちに必要なだけ食べさせることができないとき、自らの聖性をまもるために、汚れている動物や魚を拒否するような余裕すらなかったはずである。
もしもモーセの時代から食物タブーがあったならば、それは日々の宗教的儀式を執り行う祭司たちやレビ人など、儀式上、聖性を人々に求められ、かつ認めさせていた一部の人だったと考えられる。レビ記11章は彼ら自身に向けての戒律。それがパレスチナに定住し、国家を持ち、ユダヤ教を広める立場になったとき、食べ物タブーだけでなく、多くのタブーを一般の人々に、人心管理のため、神殿への恐れと依存を大きくし、食べ物が強要するようになったと思われる。
イエスの時代の祭司長や律法学者などは、国民としてのプライドを育成するためにも、神殿の支配力、影響力を高め保持するためにも、選民思想を強めるためにも、食べ物タブーだけではなく、様々なタブーを生み出した。
人々をコントロールし、ひもで縛り上げていく支配層の主張、それを押しつけて、守らせることを「信仰生活」とする人々も多くいる。イエスは、そんな自分自身を美化・聖化しようとする人々に向かって「あなたもうんこするでしょう?」「あなた方の口から出ている言葉、戒律などが、他人のうんこのように人々を我慢させている」と告発している。
○先週の出来事(気になるニュース)
最大の被害予想に基づいた台風警戒PR。飛行機も新幹線も運休予告。何かしら臨戦態勢の予行演習のように感じてしまう。「国民の被害を最小限に抑えるためのお国の処置だろう」から、予想が外れてもだれも文句は言えない。国民にはもはや自己責任で判断をすることすらできなくなっている? ならば「住民」でいいのだけれど。