190811東淀川教会礼拝 詩編1 マルコ7章 宣教題「偽善者よ 嘘つきどもよ」牧仕・金田恆孝

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旧約聖書 詩編1篇1-6節
悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
3 このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
4 悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
5 それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
6 主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。

新約聖書 マルコ福音書第7章9-13節
また、言われた、「あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、よくも神のいましめを捨てたものだ。
モーセは言ったではないか、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。
それだのに、あなたがたは、もし人が父または母に
むかって、あなたに差上げるはずのこのものはコルバン、
すなわち、供え物ですと言えば、それでよいとして、
その人は父母に対して、もう何もしないで済むのだと言っている。
こうしてあなたがたは、自分たちが受けついだ言伝えに
よって、神の言を無にしている。また、このような事を
しばしばおこなっている」。

聖書から聴く 主題「偽善者よ 嘘つきどもよ」

ナザレのイエスが、神殿政治の支配者たちや、ヘロデ王たちや、ローマ帝国から、すなわち「力ある者たち」権力や財力や、人々を動かすことのできる立場を持っている人間を怒らせ、嫌われ、彼らから攻撃を受けたもっとも大きな原因は、彼らを恐れぬ攻撃力、その影響力にあったことは確か。「悪人よ!」「加害者よ!」という、正義の立場からの断罪ではない。「偽善者よ!」の叫びは「嘘つき!」に似て、とっても厳しく、容赦なく相手に突き刺さる非難であろう。
「ひとを裁いてはならない。あなたがたが裁かれないためである」というメッセージは、「許せ!」「七の七倍も許せ」のメッセージとともに、良薬のごとく聴衆の心に響くものでした。が、このイエスがかなり発したであろう「偽善者よ」メッセージは、見事なまでに、「高いところ・ステータスの高い」ところにいる人々を明らかに「断罪している」と思われます。

社会的地位の高い人々が、上から目線で、「低いところにいるしかない人々」をコントロールするために用いた手段は「律法」の、支配者にとって都合のいい解釈の押しつけ、「執行」でした。

“悪しき者の計略に歩まず、罪人の道に立たず、嘲る者の座に座らぬ者は、幸いなり”
まず「悪しき者の計略」を見抜く力が必要です。それを周囲の人々にわかりやすい比喩表現で、多くの人々にやさしい言葉で描いてみせる。そして、人間の世界の「高いところ」に君臨する“彼ら”をとても激しく糾弾しているイエスがそこにいます。

○先週の出来事(気になるニュース)
高齢出産となる芸能人クリステルさんと小泉進次郎議員の結婚発表。有名有望な政治家の子種をゲットしたクリステルさんに芸能人票を一票。がマスコミが小泉進次郎議員の実母と彼の弟三男について、何を忖度したのか、何も聞かないことが不気味。
進一郎氏ご本人が「いろいろ家族問題がありましたから」と言っているのに何も突っ込もうとしない。ゴシップ命のマスコミ失格だろう。

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