20220515 宣教要旨「おらび」イザヤ書30章 マルコ10章 マタイ27章46節
復活節第五主日礼拝
聖書箇所(聖書協会共同訳)
イザヤ書 30章 17~19節
一人の威嚇によって千人が逃げ 五人の威嚇によってあなたがたは逃げる。山の頂の旗竿のように 丘の上の旗のように 僅かな者しか残らない。それゆえ、主はあなたがたを恵もうと待ち あなたがたを憐れもうと立ち上がる。主は公正の神であられる。なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む者は。
シオンの民、エルサレムに住む者よ あなたはもはや泣くことはない。主はあなたの叫び声に応えて 必ずあなたに恵みを与えてくださる。主がそれを聞かれると 直ちにあなたに答えられる。
マルコによる福音書 10章 46~48節
一行はエリコに来た。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出られると、ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた。
ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と叫び始めた。
多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、私を憐れんでください」と叫び続けた。
マタイによる福音書27章 46節
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味である。
宣教の要旨「おらぶ」
「おらぶ」万葉の時代からの古語。腹の底からありったけの大声で叫ぶ。九州中国四国、山形県、関西圏に残る方言。
“一人の威嚇によって千人が逃げ 五人の威嚇によってあなたがたは逃げる” そんな風景がウクライナで今続いているのでしょう。
“あなたはもはや泣くことはない。主はあなたの叫び声に応えて 必ずあなたに恵みを与えてくださる。主がそれを聞かれると 直ちにあなたに答えられる” イザヤが、そしてイエスが教えているのは、蜘蛛の子のように散らされる民一人ひとりの悲痛な“叫び”に必ず応えられる神」です。
イエスに向かって神の憐れみを求め、叫び続けた盲人バルティマイの、空気を読まない、ひとりよがりの「おらび」。誰も相手にしなかったであろう「おらび」をイエスは雑踏の中で聴き、彼を招かれた。
十字架上のイエスの「なぜ私をお見捨てになったのですか!」の最後の大声による叫びは、神に対する個人的な訴えなどでは決してあり得ず、十字架を見つめる全ての人々に向けて放った「おらび」であり、“神にも見捨てられた惨めな教祖”を演出し、追従しようとした人々が期待した「ダビデ王の再臨」「政治的救世主」の期待を裏切るものであり、追従した人々はばらばらに逃げだすことができ、ローマやヘロデ王や神殿からの“反乱分子の残党狩り”を不要にし、たった一人の処刑で収束することに成功している。
1947年発生した福岡事件(闇商人殺人事件 中国系闇ブローカー2名死亡)。GHQ占領下の1948年地裁で2名に死刑判決。1956年最高裁が上告棄却し2名確定。1968年に誤判を確信した教誨師古川泰龍(生命山シュバイツァー寺)等を中心に再審請求運動が起こり、西郷法務大臣のもと恩赦が検討されたが、誤判であり恩赦になると信じていた西武雄には死刑執行が言い渡され、実際に拳銃を発射していた石井健治郎は恩赦で無期懲役となった。辞世の句は「叫びたし 寒満月の 割れるほど」。再審請求は2009年3月に6次請求が棄却されたまま近親者がいないため閉ざされた道を再び開こうとしている運動が続いている。報復感情を正当化し、殺害を「合法的刑罰」とする「死刑」は、戦争を合法化するのと同じ罪だと思います。償いは生きてしなければならないことです。
私的な「おらび」理解ですが、『水族館劇場』『さすらい姉妹』。ネットで調べていただきたいのですが、私の友人桃山邑・千代次を核として1987年より旅芝居のテントを建て続けている。野戰攻城と名付ける野外公演は建築資材を援用し、サーカス天幕のような巨大な仮設小屋を役者自身で建込む。どの芝居でも、ときにはセリフすら聞き取れないこともあるスペクタクルな芝居ですが、時代の辺境に追いやられた人々の声ならぬ叫びを、今の私たちに向けて“おらび”続けている集団です。ぜひ耳を傾けてください。
声にならない腹の底からの叫びを神は必ず聴かれる。その叫びをイエスが代わりに叫んでくださったと信じたい。また、隣人の、腹の底からの叫びを共有し代弁するちからを、私たち一人ひとりも求めたいと願います。
先週の出来事
国民の知らない裏取引を含む沖縄条件付き復帰50年。国土面積の0.6%しかない沖縄に国内のアメリカ軍専用施設の70%が集中したまま放置されている。米日軍事協定のもと、必要不可欠ならば、先ず沖縄だけに押しつけている基地などを沖縄以外の国内各地域に分散し引き受けるべきであり、戦争を支えているこの“差別”こそ他の差別問題に先んじて解決が図られるべきだと思われる。