20221002 宣教要旨「総懺悔運動のバプテスマ」イザヤ書15:3 ヨナ書3:5 マタイ3:11-17
本日の聖書箇所(聖書協会共同訳)
イザヤ書 15章 3節
巷では人々が粗布をまとい 屋上でも広場でも すべての者が叫び声を上げ、泣き崩れる。
ヨナ書3章 5節
すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、大きな者から小さな者に至るまで粗布をまとった。
マタイによる福音書3章 11~17節
私は、悔い改めに導くために、あなたがたに水で洗礼(バプテスマ)を授けているが、私の後から来る人は、私より力のある方で、私は、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたがたに洗礼(バプテスマ)をお授けになる。
その手には箕がある。そして、麦打ち場を掃き清め、麦は倉に納めて、殻を消えない火で焼き尽くされる」その時、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼(バプテスマ)を受けるためである。
ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「私こそ、あなたから洗礼(バプテスマ)を受けるべきなのに、あなたが、私のところに来られたのですか。」
しかし、イエスはお答えになった。「今はそうさせてもらいたい。すべてを正しく行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。
イエスは洗礼(バプテスマ)を受けると、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の霊が鳩のようにご自分の上に降って来るのを御覧になった。
そして、「これは私の愛する子、私の心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。
宣教の要旨「総懺悔運動としてのバプテスマ」
創世記の大洪水物語(ノアの方舟物語)は、水を用いて神が世を滅ぼす・リセットするお話でした。二度と水によって滅ぼさない、という約束があり、“次に神が世を滅ぼすのは火を用いる”という言い伝えが旧約聖書・新約聖書のあちこちに残っています。火による洗礼・バプテスマという概念は、個人に対して行われるものではなく、世・町・全体に対して行われるイメージでした。
イエスの時代。イスラエル(ユダ)の民は、神に選ばれた、穢れのない、清い民でなくてはならない、という“選民思想”がとても強く、人を「清い人」と「穢れた人」とを分ける考え方、穢れた人は神から罰を受け永遠に遠ざけられる、という、シンプルですが根強い感覚がありました。異邦人がイスラエルの信仰に改宗するとき、神殿で水に身を浸し体を清めてから改宗の儀式を受けていたようです。日本人にとっての“禊ぎ(みそぎ)”の儀式とほぼ同じです。神殿に仕える人々も、ファリサイ派やサドカイ派などの熱心な人々は、水に身を浸して清める儀式をとても重要視していました。
バプテスマのヨハネは、身を清めることで自らを聖別しようとする傲慢な信仰、儀式を批判し、神の怒りからは誰も逃げられないし、受けなければならないことを告げました。更に、逆にこの儀式を利用して、イスラエルの民全体に向けられた神の怒りを受け止め、嘆き、悔い、粗布を巻いて断食する代わりに、「神の怒りを受け入れる懺悔のバプテスマ」を人々に呼び掛けました。いわば“総懺悔運動”のデモンストレーションのごときイメージだったと思われます。ヨハネは、イスラエルの民が主なる神に向かって総懺悔することを提唱しただけではなく、自分を清い者として聖別したがる、王や為政者、神殿の指導者たちを非難し攻撃し、その罪を暴き、「悔い改めてまことの懺悔をしろ!」と迫りました。その結果、捕まり、殺されたわけです。
この総懺悔運動に、イエスも、「水によって滅ぼされる洗礼・バプテスマ」を、授ける側でなく、受ける側として参加したのだと思われます。
『一億総懺悔』という運動が提唱されたことがありました。太平洋戦争敗戦直後、この「一億総懺悔」を提唱したのは戦後最初の首相に任命された東久邇宮成彦王(ひがしくにのみやなるひこ)だったとのこと。西欧での長期留学経験を持つ皇室の彼に白羽の矢が当たり、戦時中も戦争を一刻も早く終わらせたかった彼は、ポツダム宣言受諾後も強く残っている、外国人への敵対心、被害者意識、憎しみを取り除くにはどうすればよいかと考え、日本基督教団の加賀乙彦に相談したとのこと。受けた相談を加賀は日本基督教団本部に持ち込み、そこで「早急に国民に呼び掛けて、過去における生き方、考え方を反省し、懺悔をする運動を起こしたらどうか」と、教団幹部たちとともに原案を作成し、それを内閣に提案した加賀は内閣の参与として招かれ、それが「一億総懺悔」首相提案という形になった(Wikipedia)とのことです。新聞報道などで世に出ましたが、GHQによる戦後体制の主導、戦争犯罪に対する極東軍事裁判主導の方針とぶつかり、わずか54日間の短命政権となった、とのこと。
もしも、モシも、この「一億総懺悔運動」がこの機会に広がり、日本人の中で深められたならばどうだったのか、と想像するのです。提灯を持って“一億総熱狂”し、個人のいのちよりも「国体」こそ守らなければならないと信じた愚かさ、馬鹿馬鹿しさに気づき、軍部、政治指導者への批判だけではなく、戦争に追従し、身内を戦地に送り、隣国・アジア諸国を力で支配し、アジアの人々を虫ケラのように扱い、銃や竹槍を持って最後まで戦おうとした、生き残った人々それぞれの「罪」に目醒め、心の底から悔い改める大きなきっかけになったのではないかと(願望とともに)思うのです。「もし、あの時、◯◯が△△であったなら」と考えることは、単なる後からの願望であり、当たっているわけではありませんが、ただ、徹底的な総懺悔の機会を失ったまま、「総懺悔してこなかったツケ」は今も残り続けているのは確かなことです。
一方、東久邇宮成彦王を通じて、国民に一億総懺悔を呼びかけさせながら、国体翼賛体制として発足し、戦闘機を献上し、戦争協力し、満洲伝道と称して、中国大陸侵略に協力した「日本基督教団」自体もまず総懺悔すべきでしたし、解体・再出発するのが「本筋」ですが、国体護持同様、「教団護持」のまま今日に至っています。戦後の社会福祉をリードしたと言われる加賀乙彦氏も天皇皇室・国体護持を掲げ、優生・選民思想の強いキリスト者でした。総懺悔とともに、国体護持幻想と、イエスの語る「神の国」の違いについて徹底的に教会の内と外で議論されるべきでした。 私たち「教会」は、懺悔の仕方を、悔い改めを「ニネベの町」から学び直す必要があるのでしょう。
先週の出来事
インフレ・物価高騰への流れが加速。水道光熱費、食品価格が高騰。年金暮らし、失職者、生活保護家庭など社会的弱者を直撃し始めています。あちこちで悲鳴が、鳴き声が上がり始めています。国葬や、軍備拡張している場合ではないと思うのです。