20221016 宣教要旨「怒りのバプテスマ」イザヤ54:14-17 ルカ3:7-13
イザヤ書54章 14〜17節
あなたは正義によって揺るぎなく立てられる。虐げから遠ざかれ。恐れることはない。恐れからも遠ざかれ。それが近づくことはない。
見よ、攻撃を仕掛ける者があっても それは私から出たのではない。あなたを攻撃する者は、あなたの前に倒れる。
見よ、炭火をおこし、武器を作り出す職人も 私が創造した者。それを破壊するために滅ぼす者も 私が創造した者。
あなたに対して造られる武器は どのようなものであれ役に立つことはない。裁きの時 あなたと対立する舌がどのようなものであれ あなたはこれを罪に定めることができる。これが主の僕たちの受け継ぐもの 私から受ける彼らの正義である――主の仰せ。
ルカによる福音書3章 7〜13節
そこでヨハネは、洗礼(バプテスマ)を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「毒蛇の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。
それなら、悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。
斧はすでに木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒され、火に投げ込まれる。 群衆は、「では、私たちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。
宣教の要旨「世への怒りのバプテスマ」
(「虐げ」という言葉に込められた意味)
権力者による権力を持たない者への一方的な支配も、定めた「敵」を虐げる戦争も、人間関係における、神の正義を失った状態、罪をイザヤは『虐げ』という言葉で表現していると思います。人間関係の、虐げる側からも恐る側からも反逆する側からも遠ざかり、神の正義を求めよ、とイザヤは語っていると感じられます。
武器を作り出す者も、武器を用いて戦争をする者も、応戦する者も、神が創造した者たちであり、どちらにも神の正義はなく、裁きの時は主が滅ぼす、あなた方が裁いてはならない(反乱も戦争である)というメッセージに聞こえます。
神の怒りから逃れたい、救われたい、と願って洗礼を希望する人々に対し、ヨハネは「世に対する神の怒りから逃れられると思ってはならない。逃れることはできない。ただ、神の世に対する怒りの前に、悔い改めるなら(あなたが変わろうとするなら)、悔い改めにふさわしい実を結べ」と語ります。
ヨハネは一人ひとりに対し変革を迫っているのであり、バプテスマは、決して神の怒りから逃れられる、救われるための条件として語られているわけではありません。神の怒りを伝えるヨハネのメッセージは、個人に向けられた面と、支配者たちに向けられたや面との両面性を持っていたと考えられます。
これが原始キリスト教団成立後は、主に「神と個人の関係」で理解され、やがてローマの国教となる頃は、社会や世の悪に対する神の怒りの面は弱められ、個人が救われる条件・選ばれた民の資格・選民思想として理解されるようになってしまった。だから「国教」になることができたのでしょう。
イエスの時代、富める者、豊かな者と「貧しい者」の格差は著しく大きかった。そこにおける「悔い改めに相応しい実を結ぶ」とは何か、との問いへのヨハネの応答、「下着を二枚持っている者は、持たない者に分けてやれ。食べ物も持っている者が持たない者に分けてやれ。」とは、19世紀にマルクスの語る共産主義についての言葉、「すべてのものは私有物から共有物に変わる」が思い浮かびます。
ヨハネも「富める者」の独占的な私的所有を無効化していくことが「神の正義」を実現することだと確信していたのでしょう。マルクスもまた、貨幣がなければ不可欠な物が得られないという経済的な「虐げ」をどのように減らしていくかを考え抜いたのでしょう。イザヤの“虐げから離れよ”の言葉を、現代の「今、この時代」で受け取りたいのです。
「古人の跡を求めず 古人の求めしところを求めよ」(空海)の言葉があります。古の変革論を踏襲するのではなく、バプテスマのヨハネの言葉や、イエスの言葉とともに、格差が見えにくい形で極端に広がった現代社会の課題を、教会でこそ、ともに考え、「悔い改めに相応しい実を結ぶ」道を祈り求めたい。
※芭蕉の名句 「先人たちの、遺業の形骸(ぬけがら)を追い求めるのではなく、その古人の理想としたところを求めなさい」は、空海の『性霊集』にある「書亦古意ニ擬スルヲ以テ善シト為シ、古跡ニ似ルヲ以テ巧ト為サズ」に拠った言葉である、と説明されている。
先週のできごと
マイナンバーカードを広めようとする河野大臣のコメントに「デジタル社会のパスポート」という言葉が特に目立ちます。国外ならいざ知らず、国内でも「パスポート」が必要になりますよ!と聞こえます。この国の住民が、国内で身分証明書、パスポートがいつも必要になる、そうしなければ公的なサービスも受けられない? 不審者として扱われる? ありのままの人ではいられなくなる? そんな国になることだけはなんとしてでも避けたいものです。