20230305 東淀川教会宣教要旨「憤懣やる方なし」出エジプト記32章 マルコ福音書11章 ルカ福音書9章3-6節

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聖書箇所(日本聖書協会訳)

出エジプト記32章 19-20節
宿営に近づくと、子牛の像と踊りが目に入った。そこで、モーセの怒りは燃え、手にしていた板を投げつけ、山の麓で打ち砕いた。
そして、彼らの造った子牛を取って火で焼き、粉々にして水の上にまき、イスラエルの人々に飲ませた。

マルコによる福音書11章 1−2節
一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山に面したベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだ誰も乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。

マルコによる福音書11章 12-14節
翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。

ルカによる福音書9章 3-6節
次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持つな。どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。あなたがたを受け入れない者がいれば、その町を出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに足の埃を払い落としなさい。」十二人は出かけて行き、村々を巡り歩いて、至るところで福音を告げ知らせ、病気を癒やした。

 

宣教要旨「憤懣やる方なし」 

 イエスがいちじくを呪った? しかも腹が減っていたから? いちじくの実がならない時期なのに? 
 この記事は、そこに居合わせた仲間たちにしかわからない、イエスのパフォーマンスだったと思われます。 オリーブ山に面したベタニアはマリア・マルタ姉妹や兄弟ラザロの故郷であり、ベトファゲもすぐ近くの村らしい。ベトファゲとは、ベト(家)ファゲ(いちじく)で、アラム語の地名らしい。別名いちじく村。

 イエスたち一行が、その伝道活動の終わりの方で、ベタニアやベトファゲを拠点にしてエルサレム城壁内に(おそらく南側の糞門を通って)毎日のように出かけ、宣教と同時に神殿や反対派の人々と対決していたと思われます。ガリラヤ湖周辺で活動していた時にも反対派の監視はありましたが、イエスたちのエルサレム入場とともに、反対派の対決姿勢はピークに達していたはずで、イエスの仲間たちの緊張も高まっていたと思われます。

 おそらく反対派たちは、イエスたちに宿を貸している人々に対し、“あんたらはあんな極悪人、犯罪者集団の仲間なのか!”などのあらぬ噂や、ドーカツがあったと想像してみてください。そうすると、イエスやイエスたちが朝から腹ペコだったことの理由が見えてきます。 “イチジク村”を宿としてエルサレム城壁内に何度もデモに出かけていたイエスたち一行は、その朝、朝食にありつけなかった。宿主やご近所さんたちが、反対派の執拗な攻撃に怖くなって逃げたからだ…..

 イエスたちの宣教・治療・看護活動のスタイルは、預言者エリアがサレプタのやもめの家でやっかいになったように、また他の預言者たちもそうであったように、お金も食料も着替えのパンツすら持たず、しんがりに置かれている貧しい村、家の人々からお世話してもらい、生き辛さをともにし、文字通り“辛酸を舐めながら”そこの人たちのために働くことでした。この関係が断られたり壊れたときには、抗議のしるしとしてサンダルの底についた塵埃を祓い、残念さも綺麗さっぱり拭い去って新たな旅に向かうスタイルだった(ルカ9章3−6節)と思われます。

 怖くなって逃げ出したベトファゲの人々の気持ちは、イエスたち一行はじゅうぶん理解していたはずです。講義は、“そうさせていた者たち”への「憤懣やる方ない」抗議です。それほど、この一行の行いは監視され、危険視され、妨害されていました。 この“いちじくを呪う” “いちじく村の出来事を呪う”ことは、サンダルの底の塵埃を拭うことの、見事な別表現だったわけです。

 イエスの「憤懣やる方なし」表現は全員の腹ペコの情けなさと怒りを代表していた。この怒りは、モーセが山で神からいただいた契約の板を持ち帰ったとき、都市文明から生まれた富・貨幣を神同様に(あるいは、神以上に)ありがたがり、基準となる金によって作られた子牛を祭って大騒ぎしていたイスラエルの人々をみて、モーセは金の子牛を粉々に砕き、みんなに飲ませた、という記事がありますが、そのモーセが抱いた“憤懣やる方なし”の心境と通じるものだったと思われます。


 マルコ福音書の記事では、イエスのいちじくに対する「憤懣やる方なし」パフォーマンスは、神殿中心のユダヤ教に対する抗議、神殿から商人たちを追い出すという、神殿そのものへの怒りや、敵対する者たちへの抗議行動に続いています。

 現代における怒りのデモはどんなふうになるのだろう。もしも、イエスが現代社会の日本におられたら、商売人たちのテーブルをひっくり返す代わりに、いかなるパフォーマンス、抗議行動をしただろうか、と想像します。例えば、軍事・軍備費予算を更に膨らませ、沖縄の島々を戦争の全線基地化しているえげつない現実がありますが、それほど米国の軍事政策に従うなら、はっきり見えるように国会議事堂のてっぺんに星条旗をおったてるとか、沖縄独立支援を呼び掛けるとかするんじゃないかな、などなど。
 天に招かれる前にそんな場面が現れたら、何があろうと、全てをほったらかして馳せ参じたい。

先週の出来事

誰でもいいから殺したかった…. 中学校に押し入った埼玉県の高校生17歳。彼が抱えていたであろう絶望感や更に生きることへの恐怖感などに“共振”している若者はかなり多いと思う。ナイフを何本か用意していた様子。おそらくこの世と“差し違える”イメージだったんじゃないかなと思う。ピストル魔の少年「永山則夫」を思い出した。少子化は進み、周囲が大騒ぎし手当てをするほど不登校数は増え続け、小学生から高校生までの子どもに投与されている向精神薬の数も量も増え続け、並行して子どもたちの自殺者数も増え続けている。21世紀の現代、多くの彼ら、彼女たちを追い込んでいる、追い詰めているものの正体について、もはや遅いからもしれないけれど、ネットや文字情報ではなく、面と向かって交信したい。

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