20230319 宣教要旨「隣人の足を洗うとは」 創世記24章32節 ルカ福音書7章 ヨハネ福音書13章3−9節

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本日の聖書箇所

創世記24章32節
 そこで僕は家に入り、ラクダの荷を解いた。ラクダにはわらと飼い葉が、僕と従者たちには足を洗う水が出された。

ルカによる福音書7章44節
 そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。私があなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この人は涙で私の足をぬらし、髪の毛で拭ってくれた。

ヨハネによる福音書13章3-9節
 イエスは、父がすべてをご自分の手に委ねられたこと、また、ご自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、夕食の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手拭いを取って腰に巻かれた。それから、たらいに水を汲んで弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手拭いで拭き始められた。シモン・ペトロのところに来られると、ペトロは、「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか」と言った。イエスは答えて、「私のしていることは、今あなたには分からないが、後で、分かるようになる」と言われた。
ペトロが、「私の足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もし私があなたを洗わないなら、あなたは私と何の関わりもなくなる」とお答えになった。シモン・ペトロは言った。「主よ、足だけでなく、手も頭
も。」

 

宣教要旨「隣人の足を洗うとは」

イエスが腰をかがめ、仲間たちの足を洗ったことは、イエスたちがこれまで行なってきたこと、更にイエスの肉体が滅んだ後も続けていくべき行為が何であるかを、端的に表したデモンストレーションだったと感じます。 

 イエスの時代。遊牧民やパレスチナの人々の履物の多くはラクダなどの動物の皮をなめしたサンダルだったようです。江戸時代までの日本人は草鞋で歩き、家の床に上がるときは足を洗いました。畳はベッドの上と同じ安息の場でした。疲れた旅人の履き物を脱がせ、足を洗い、水気を拭き取るのは、その人の健康状態や疲れ具合を観察しながら、休息・安息へと招くことなのでしょう。

 中世までの中東やヨーロッパでは虫歯を抜いたり体にメスを入れて異物や膿を出したり、瀉血という患部に集まった血を抜き取ったり縫い合わせたりの医療を、カミソリを持った理容師が行なっていた時代がありました。家の前に立てた標識が理容外科(barber-surgeon’s pole)、動脈の赤色と静脈の青色と白色のベルトがぐるぐる回る、あのマークです。治療行為は12世紀以降は歯科医や外科医に移行していったようです。

 精神科医中井久夫の名言「医者が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。」があります。
 傷つき病む者たちをイエス(たち)が癒した、という記事が多くありますが、基本は、イエスたちの行為は「看護」ケアであり、結果的に人を癒し治療したのは神であり、表現としては神の手である守護天使、聖霊が働いたということなのでしょう。

 医療の基本は看護です。イエスが仲間たちに教えたのは、癒しを必要としている人に仕え、食べ物を分かち合い、静養と清潔な場を確保し、ともに神に祈ることが基本だったと思われます。預言者エリアは、重体の少年に自らの体を重ね、病人の病気を自分に移すような行為を行なった、結果、少年は癒やされた、という記事もあります。イエスは、それら看護の本質を「屈んでその人に仕え、その人の足を洗う」ことで示したのだと思われます。足を洗うことは全身の清拭、全身と心の看護に繋がります。

 鋭利なカミソリ、メスを持った医師の行為は、医療全体の中の一部だったと思われます。検査をする者も、薬を処方する者も、看護に従事していたと思われます。
 現代医療は製薬会社や医療機器メーカーと共に利益を生み出すための巨大産業の一つとなり、絶大な特権を付与された医師の手に、診断、メスと薬の匙加減、治療の判断、生命与奪の権限すらあるような幻想と医療体制が築き上げられたと感じます。

 医師が、患者の命をも含めて全ての権限を握っている、という矛盾が、現代社会で最も大きく表れている医療現場が「精神病院」だと思います。
 2022年に明らかになった神戸市神出病院のように、患者に対する暴行が繰り返され、入院患者の多くが棺桶退院という現実は、神出病院だけではなく、程度の差はあっても日本の精神病院の現実です。光の届かない、“医療”とは程遠い、人権など疎んじられがちな精神医療の現場が「社会の要請によって?」今日も続いています。一方で、医師中心の精神病院そのものをなくしていこうとする精神科医たちや医療従事者たちの運動も起こっています。

 医療の本質が看護・ケア中心の、医師も検査技師も薬剤師も心理師も精神保健福祉士も、自宅看護をはじめとする患者中心の看護体制を支える医療に戻っていくべきだと感じます。イエスから看護とは何かを学びたいと願います。

 

先週の出来事

ロシアによるウクライナ侵攻をめぐり、国際刑事裁判所(ICC)が17日、占領地から違法に子どもを連れ去った戦争犯罪に関与した容疑で、ロシアのプーチン大統領に逮捕状を出した。戦火の縮小に向かうのか、更なる戦火拡大に向かうのか… 国連の動きに注目したい。日本政府に願うことは、「せめて何もしないでいてほしい」。今朝、教会へ向かう途中、171号線、伊丹駐屯地近くの路上で、砲身を備え、タイヤ8本、2名の隊員が上部に座っている“小型戦車”が走っているのを見た。海外派兵のデモンストレーションなのだろうか?

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