20230430 復活節第四主日礼拝 マルコ福音書5章21〜43節

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本日の聖書箇所

マルコ福音書5章21〜43節
 イエスが舟で再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロと言う人が来て、イエスを見ると足元にひれ伏して、しきりに願った。「私の幼い娘が死にそうです。どうか、お出でになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけられた。大勢の群衆も、イエスに押し迫りながら付いて行った。

 さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者からひどい目に遭わされ、全財産を使い果たしたが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの衣に触れた。「せめて、この方の衣にでも触れれば治していただける」と思ったからである。すると、すぐに出血が止まり、病苦から解放されたことをその身に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気付いて、群衆の中で振り返り、「私の衣に触れたのは誰か」と言われた。弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『私に触れたのは誰か』とおっしゃるのですか。」

 しかし、イエスは触れた女を見つけようと、辺りを見回された。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。病苦から解放されて、達者でいなさい。」イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」5章 36節

 イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、誰も付いて来ることをお許しにならなかった。一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子どもは死んだのではない。眠っているのだ。」マルコによる福音書/ 05章 40節

 人々はイエスを嘲笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子どもの父母、それにご自分の供の者だけを連れて、子どものいる所へ入って行かれた。そして、子どもの手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。十二歳にもなっていたからである。それを見るや、人々は卒倒するほど驚いた。イエスはこのことを誰にも知らせないようにと厳しく命じ、また、少女に食べ物を与えるようにと言われた。

 

宣教要旨「女の復権」

 イスラエル民族が男中心の社会であったことの背景としては、一族や動物を率いて旅生活をしていた遊牧民(ベドウィン)の群れの首長としんがりは屈強な男がその役割を担うことが多かったし、系図も男中心の系図で示され(イエスの系図には五人の女性が含まれる)、群れの大きさを測る時には大人の男の数でカウントしていました。

 あらゆる文化において穢れ(伝染病、死者、バイ菌、腐敗)を怖れ、一定期間は距離を置く文化があった。(レビ記11−17章)神殿の清浄さを保ための、生理のある女を聖から遠い存在とする伝統もあった。

 王を中心として民族と民族の戦闘が続く時、戦士でもある男の支配力が高まり、女は男の兵士や軍隊に仕える役割を担わされ、発言力も低められる。戦争で夫や息子を失った女(やもめ)への差別も激しく、社会的地位も低かった。預言者エリアが貧しいやもめに養われたごとく、イエスもまた社会から同情もされず見向きもされない、むしろ穢れとして遠ざけられている女たち、小さくされている者に向かっていった。

 重体である会堂長(地域の世話人)の娘のもとに向かうイエス。十二年間出血の止まらない女、病いの弱みにつけ込まれ、全財産を失った女。最後の望みで群衆に紛れてイエスの衣類にそっと触れた女、が癒された。イエスがこの女を探したのは(自分のわざではなく)、神のわざを確かめ、世に送り出すためなのでしょう。死んで葬儀の準備が始まっていた会堂長の家で「タリタ、クム」とイエスが呼び起こした娘。おそらく寝たきりで病弱だったかハンディを抱えていた少女は12歳になっていた。この国にもあった“座敷牢”などを連想します。12年とは、一昔とか、人生の長い期間を表しています。イエスを介した二人への神のわざは、苦界に置かれた女たちへの、「神の国は近づいた」宣言のわざでもあったのです。

 国や民族の、戦闘態勢、臨戦態勢が長く続く地域ほど、戦闘的な男による女への支配、差別が強まり、女の自己決定権は無視されがちになります。米国の「トランプ現象」にもそれが現れています。日本の戸籍制度にも強く残っています。日本の総人口が一億人を割ろうとしており、在日外国人の数が1割を超えたとのこと。出生数は激減し、子どもや青少年の自殺数は増え、自閉傾向の子供達が増加し続けています。

 女、子ども、ハンディのある者、社会的弱者が、“のんびり、ゆったり、のほほん”と生きにくいのは、この時代の軍事力、経済力に頼った臨戦態勢と無関係ではないと感じます。

 現代の女性復権運動、フェミニズム運動があります。政治から排除されていた女性の参政権を取り戻す運動と理解します。今でも市町村議会や国会議員の男女比率の格差は大きいし、行政を支える省庁、国家公務員の男女比も均等であるべきと思います。
 が、昨今の女性をこそ、様々な“ハラスメント(人権侵害)”から守るための施策が講じられなければならない、とか、職場でスカートなどの女らしい服装を強要されるべきではなく、男性同様に背広ネクタイであるべき、とか、自衛隊員や警察官などの職種でも平等に扱われるべき、や、LGBTQなどの多様な性自認者の結婚を認めるべき、などの運動には首を傾げてしまいます。

 戦後、1960〜1970年代、女性差別問題、障害者差別問題、在日外国人差別問題、被差別部落問題などをめぐり、「人権」をキーワードとして様々な学生運動や大衆運動が起こりました。

 しかし、日清日露戦争から太平洋戦争までの臨戦・戦闘を支えた挙国一致という“熱狂”のもと、長期にわたり人間の尊厳そのものが失われました。その熱狂の中心を表現している歌が“海ゆかば”だと感じます。大正生まれの父親も戦時中、歌ったであろう歌ですが、戦後、オヤジたちは戦友会の集まりなどでも歌わなかった曲でした。

 海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草生す屍 大君の辺にこ死なめ かえりみはせじ

天皇を荒人神とし、天皇のために死ぬことを最高の名誉とした歌です。
天皇信仰があることは認めるべきでしょうし、信仰の自由は守られるべきでしょう。が、天皇を荒人神として作り出された、天皇=国体、国体あらずんば民なし、という作られた「熱狂」のもと、戦場に散った人々や、日本軍に侵略され、蹂躙されたアジアの人々への責任、戦争犯罪の総体から、天皇制は見直されるべきでしたし、新憲法のもとに、日本国家の象徴として位置付けられるべきではなかったと思います。この国において「人権」を確立するためには、天皇制問題は今後も避けられない課題ですし、宗教としての皇室も国の政治から解放されるべきだと思います。

 天皇制を中心とした、かつての「熱狂」から、「大衆側の戦争責任」を、大衆の側から問い直さない限り、この国の人権思想は生まれないでしょうし、ホンモノの民主主義は手に入らないのでしょう。

 神が立ち上がり、世のしんがりに置かれている人々をこそ支えてくださる、その神とともに働こう、というイエスたちの神の国運動。12年間の長血に苦しめられた女と、12年間自由を失っていた少女の物語を、主による、神の子としての人権回復運動として理解し直したい。 
 

先週の出来事

4月27日の朝日新聞朝刊。第二面に、旧統一協会の文鮮明教祖と、自民党の岸信介氏、安倍晋太郎氏、安倍晋三氏の3代にわたる政治家たちとの「密接な」関係を示す特集記事でした。
『わたしが自民党議員たちを当選させ、踊らせてきました』という文教祖の発言は、その関わりの深さからも軽視できません。これは「一宗教法人と政治家との不適切な関わり」などで誤魔化せる問題ではなく、戦後の「赤狩り」・反共政策や、米日の軍事同盟に関わる政治の裏舞台、暗部を示唆しています。未だ明らかにされないまま継続している“米日合同会議”の議事録とともに、戦後の捉え直しがなされぬ限り、この国に「民主主義」は実現しないのでしょう。

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