20230507 宣教要旨「徳を積めば救われない」マルコ福音書10章17−31節 

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本日の聖書箇所

マルコによる福音書10章 17〜31節
イエスが道に出て行かれると、ある人が走り寄り、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ私を『善い』と言うのか。神おひとりのほかに善い者は誰もいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父と母を敬え』という戒めをあなたは知っているはずだ。」するとその人は、「先生、そういうことはみな、少年の頃から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に与えなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、私に従いなさい。」彼はこの言葉に顔を曇らせ、悩みつつ立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは重ねて言われた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい。」弟子たちはますます驚いて、「それでは、誰が救われることができるのだろうか」と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「人にはできないが、神にはできる。神には何でもできるからだ。」ペトロがイエスに、「このとおり、私たちは何もかも捨てて、あなたに従って参りました」と言いだした。イエスは言われた。「よく言っておく。私のため、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子ども、畑を捨てた者は誰でも、今この世で、迫害を受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を百倍受け、来るべき世では永遠の命を受ける。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」

 

宣教要旨「徳を積むほど救われない」宣教担当 金田恆孝

 イエスは、死んだらどうなる?の問いに対して、創世記にも記されているように、生命は神が吹き込んだ、与えたものであり、全ての人は神の子であり、死んだら、全ての命のもとである、永遠の命である神さまのもとに帰るんだよ、と教えていたと思われます。神さまのもとに帰るための条件とか、神さまのもとに帰っても「永遠の命に至る人」と「神に裁かれる人」に分かれる、なんぞの話は、「イエスを信じた者は救われる」という教義とともに後に作られた話と思われます。イエス自身は、「私を信じた者は救われる(永遠の命に入ることができる)などと語ってはいません。
 「永遠の命」とは「神」の別表現だと思います。肉体から離れた(いのち)、スピリッツ、日本語でいう「霊魂」「霊」は不滅、という概念もすでにあったのでしょう。更には、神さまから迎えられる○印の霊魂と、迎えられない、或いは、裁かれる、✖️印の霊魂に分かれるのだ、という強固なイメージが一般の人々の中に出来上がっていたのでしょう。それが「救われる」「救われない」という概念なのでしょう。
「人間には良い人と悪い人がいる」「人間はもともと悪であり、利己的であり、悔い改めて、神様にとっての○印となる条件を満たさなければ✖️印」などの恐怖は拭いされなかったのでしょう。
 周囲の人間たちの中で、自分は相対的に、神さまに近い、より高いpositionを確保しようとします。「救い」の概念は、神に望まれる、選ばれた人(選民)だけが救われる、という選民思想を生み出しました。人は利己的で罪深いけれど、良い行いをする、徳を積む、pointを稼ぐことができる。自分が神に選ばれるため、確かな保証を求める、 神との取引をしようとする思いが生まれるのは当然です。
 様々な努力を重ねてきたけれど、安心ができない。「何をすれば永遠の生命を得られるか?」の問いかけに対して、イエスの答えは、「自分が救われるために良いことをするのを神は望まない」「神さまとの取引をやめなさい」積み上げてきたいっさいの徳も財産も地位も名誉も名声も手放して楽になりなさい」「わたしたちと一緒に来る?」みたいな会話だったのではないでしょうか。
「ラクダが針の穴を通る方がやさしい」とは、「徳を積むほど救われなくなる」という意味になります。
ヨハネ黙示録は、その時代、社会への不安や絶望、恐怖がベースにあり、そこから「希望」を生み出そうとした「神話」と思われます。そこから産み出された「終末論」や「千年王国説」「最後の審判」などの「神話」が、“いのちは神のもの”、“時を支配しているのは神”という普遍的な感覚を狂わせてしまったりもします。 
 天地万物の創造者は神であり、時を支配しているのも神であり、全ての生命は神のものであり、全ての人は神の子であり、神は親(アッバ)であり、生きている間は喜びも悲しみも分かち合い、死んだら親である神、永遠の命に帰ることができるんだよ、というのが、聖書から伝わってくるイエスの、シンプルなメッセージだと思われます。

 

先週の出来事

黙示録の“終末論”ではありませんが、戦時下はこうであっただろう、という雰囲気が広まっているように感じます。転居しても住民票をそのままにしていたら罰金、という報道がありました。マイナンバーカード問題もですが、「国民は国家の管理に従うべき」という圧、真綿で首を絞められるような圧力をじわじわと感じます。

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