191006 宣教要旨 イザヤ書52:12 53:5-8 ヨハネ福音書6:56 60-66 題「みんな離れていく」宣教 金田恆孝

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旧約聖書 イザヤ書52:12 53:5-8 11-12節
52:12あなたがたは急いで出るに及ばない、また、とんで行くにも
及ばない。主はあなたがたの前に行き、イスラエルの神はあなたがたの
しんがりとなられるからだ。
53:5しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義の
ために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安
与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
53:6われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって
行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
53:7彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている
羊のように、口を開かなかった。
53:8彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの
地から断たれたのだと。
53:11彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
53:12それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。
彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。
しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。

新約聖書 ヨハネ福音書6章56、60-66節
6:60弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」。 6:61しかしイエスは、弟子たちがそのことでつぶやいているのを見破って、彼らに言われた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。 6:62それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか。 6:63人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。 6:64しかし、あなたがたの中には信じない者がいる」。イエスは、初めから、だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。 6:65そしてイエスは言われた、「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」。
6:66それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。

聖書から聴く 主題「人々は去って行った」

イザヤ書を示しながら、イエスの語る神さまは、この世の“しんがり”に立たれる方。その貧しい者たち、闇に捨て置かれる人たち、忌み嫌われ嘲られる者の側に立って支えてくださる方でありながら、しんがりを作り出す権者、学者、富める者たちに悔い改めを求める神であった。バプテスマのヨハネはその働きの一翼を担っていた。

イエスは神の御手の一部として働き、しんがりから人々を支え、悔い改める者を神に取り成す働きを続けた。
そのことが何を結果するか、十分ご存じだった。しんがりを作り出す人々から殺されることになるだろう、と仲間たちに語った。

天高く君臨する神ではなく、世のしんがり、どん尻に立たれる神。しかも、しんがりに立ち続けるイエスやその仲間は必ず敗北し、イエス自身は殺されるであろうと。

イエスを、まったく新しい指導者、メシア、解放者、救い主、スーパースター、王さまと尊敬し、あがめ、イエスを中心とした教団形成、宗教指導者、政治的リーダーを願ってきた数多の人々は、イエスの、神の国運動の敗北予告、しかも仲間から見捨てられ、裏切られ、唾棄され、嘲笑され、極悪人として刺し殺されるという処刑予告につまずき、理解不能に陥り、次々と離れていった。
イザヤ書、ことにその53章は、神の御手のわざを為す者がなぜ極悪人として死刑に処されることになるのかについて、はるか昔にイザヤ(たち)が預言していたことであった。イエス自身も語っていたことだった。が、イエスをリーダーとしてあがめ、まつりあげたい人々にとっては我慢できないことだった。人気はがた落ち。あれほど集まり群がっていた人々がどんどん去って行った。
そして誰もいなくなる… 神の国運動とは、周りから見れば、そういう運動でした。

○先週の出来事(気になるニュース)
所沢市の中学校で同級の友人を友人宅で殺害した事件。同じ中学校で一昨年は電車への飛び込み自殺、去年は屋上からの飛び降り自殺と続いていたとのこと。
2004年6月1日午後、長崎県佐世保市の市立大久保小学校で、6年生の女子児童が同級生の女児にカッターナイフで切り付けられて死亡した事件。2014年、高校1年生の女子生徒(15)が、同学年の友人(15)の後頭部を鈍器のようなもので多数回殴り首を絞めて殺害し、首と手を切り落とし、腹を裂き解体した事件。おとなの日常生活でアナログとデジタルの境界線が曖昧になっているのと平行して、リアルとバーチャルの境界線も曖昧になっている、ましてや子どもたちの世界でその曖昧さは更に加速しているように感じる。何かそのあたりに共通の深い闇がありそうな気がする。

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