2020年01月05日 新年礼拝  詩編19:1-8 マルコ9:42-43 「要らない人などいない」週報.2640

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2020/01/05 新年礼拝 宣教要旨 詩編19:1-8 マルコ9:42-43 題「要らない人などいない」週報No.2640 宣教 金田恆孝

詩編19篇1-8節
1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。
5 日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。
6 それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。
7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。

マルコによる福音書9章42-43節
9:42また、わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、
大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい。
9:43もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。
両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、かたわに
なって命に入る方がよい。

宣教「要らない人間などいない」
創造された世界(もろもろの天)は神の栄光をあらわしている、という。日々変わる大空(移ろう世の流れ・歴史)は神のみわざ、と読める。神のことばと神の知識は人間にはわからないが、その響きは全地に及ぶ、と。

 地球上の生命は、神の創造・調和の中にあり、まさに「いのちを与えられ、生かされている」にもかかわらず、人間は「敵」をつくりだし、貴賤の区別を設け、役立つ人々と役立たずとを分け、善人と悪人を分け、合法的に存在を抹消することもする。被造世界の調和を乱しているのは災害でもなく天災でもなく、人間であるのは自明。

 イエスの譬えは、神から与えられた人間の、自分の身体にとって、「この部分は要る、この部分は要らない」と決められるのか、との問いである。身体は「全体」であり、与えられた「宇宙」でもある。身体のこの部分は要らない、と言えないように、人間世界にあって、「この人間は要らない」と決める権限は人にはない。

 社会的な「弱者」を作り出すのは、社会的な「強者」である。「後進国」を作り出すのは「先進国」である。世界は“人を躓かせるシステム”に満ちている。それは神に対する罪である、とイエスは語る。

「あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい」とは、強者の立場にいる人間たちが、弱者を作り出していることで、強者の立場が守られるシステム・社会構造そのものを“身を切る”改革をする責任がある、とのイエスの言葉に聞こえる。

 ますます弱者と強者との格差が広がり、強者にとって役立つ人と役立たない人との区分けがなされ、共感しあうべき繋がりが分断されている現代社会だからこそ、イエスの言葉を現代社会の中で再度“身を切られる”覚悟で聞き直す必要を強く感じています。

先週の出来事 気になるニュース
トランプ米国大統領がキリスト教福音派の集会で「世界最強の軍隊に守られている米国キリスト者こそ神に祝福されている!」との演説が報道されていた。まるで“十字軍”の時代に戻ったのかと感じた。この「強者の傲慢さ」にこころを痛めるキリスト者は何%ほどいるのだろうか?
神は、強者の軍隊や武器に追われている難民や弱者の側にこそいまし給うことを再度確認すべきと思われる。

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