2020年1月26日 降誕節第5主日 イザヤ56:1-7 マタイ18:14-18 「法は下から上へ」週報No.2643 

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20200126 宣教要旨 イザヤ56:1-7 マタイ18:14-18 「法は下から上へ」週報No.2643 宣教:金田恆孝

イザヤ書56章1~7
1 主はこう言われる、「あなたがたは公平を守って正義を行え。わが救の来るのは近く、わが助けのあらわれるのが近いからだ。2 安息日を守って、これを汚さず、その手をおさえて、悪しき事をせず、このように行う人、これを堅く守る人の子はさいわいである」。3 主に連なっている異邦人は言ってはならない、「主は必ずわたしをその民から分かたれる」と。宦官もまた言ってはならない、「見よ、わたしは枯れ木だ」と。
4 主はこう言われる、「わが安息日を守り、わが喜ぶことを選んで、わが契約を堅く守る宦官には、5 わが家のうちで、わが垣のうちで、むすこにも娘にもまさる記念のしるしと名を与え、絶えることのない、とこしえの名を与える。6 また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は
7 わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである」。

マタイ福音書181418
18:14そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。18:15もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。18:16もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。18:17もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。18:18よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。18:19また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。18:20ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。

聖書に心を傾ける 【法は下から上へ】

 本日のイザヤ書。イスラエル(神とともに歩む民たち)の中に異邦人、更に宦官を受け入れる信仰が育まれたのは“第3イザヤ”の頃、ペルシャのキュロス王によるバビロンの捕囚から解放(BC539年)、帰還以後であったと思われます。強い国家を求めたかつての選民意識、傲慢さが長期の捕囚によって打ち砕かれ、貧しさ、弱さしか誇ることがなかったが故に、異邦人、更に、かつてはあり得なかった宦官をも信仰の仲間としてともに歩み始めることができたのではないかと思われます。

 様々な立場や歴史や感覚の違いから起こるトラブルをどう解決していくのか。かつては士師(裁き司)や祭司長、律法学者たちが律法を中心に(上から下に向かって)裁いていたものを、イエスはひっくり返していった。当事者同士の一対一での話し合いから、話し合いへの参加者を広げ,神を畏れる仲間たちの対等な議論へと枠を広げ、弱い者、貧しい者をこそ支え合う視点とともに、世のシステムや権威や上下関係を排除し、フラットな関係のなかでそれぞれの違いとそれを乗り越える知恵とちからを共有すること。それが“繋ぐわざ”、“解くわざ”であるという。それを神が祝福し導いてくださるとイエスは語る。つまり、下から上に向かって生きた柔軟な律法を構築していくこととなる。今日、精神病院からの開放、回復を支える精神医療、サポート体制で実践されている“オープンダイヤローグ”の、痛みを分かち合う思想と通底していると思う。

 当事者とか患者とか医師とか心理士とか教師とかヘルパーとか、様々な“制服”を脱いで、互いに支え合おうとする、そんな自然な目立たない働きが教会で持続的にできたら、そのためのターミナルになりえたら、と夢想している。ちょうど、阪神淡路大震災における神戸の安先生を主人公としたTVドラマが(NHK)始まっている。「医者にできることは、回復したいと思っている人のそばにいることだけ」のことばに強く共感した。

先週の出来事、ニュースなど
  おとなの事情で傷ついているであろう中学生の男の子と話した。ヒトラーを尊敬している、という。津久井ヤマユリ園事件の犯人をどう思う?と聞くと「やり方がまずかったんや」と。疎外され傷ついた心が、逆に疎外する、差別する側に立とうとするこころの動きが悲しい。

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