2020年2月2日 降誕節第6主日 イザヤ30:18−24 マタイ18:22−30 「忘れる憐れみと赦し」週報No.2644

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イザヤ書301824節 
18 それゆえ、主は待っていて、あなたがたに恵を施される。それゆえ、主は立ちあがって、あなたがたをあわれまれる。主は公平の神でいらせられる。すべて主を待ち望む者はさいわいである。19 シオンにおり、エルサレムに住む民よ、あなたはもはや泣くことはない。主はあなたの呼ばわる声に応じて、必ずあなたに恵みを施される。主がそれを聞かれるとき、直ちに答えられる。20 たとい主はあなたがたに悩みのパンと苦しみの水を与えられても、あなたの師は再び隠れることはなく、あなたの目はあなたの師を見る。21 また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。22 その時、あなたがたはしろがねをおおった刻んだ像と、こがねを張った鋳た像とを汚し、これをきたない物のようにまき散らして、これに「去れ」と言う。23 主はあなたが地にまく種に雨を与え、地の産物なる穀物をくださる。それはおびただしく、かつ豊かである。その日あなたの家畜は広い牧場で草を食べ、24 地を耕す牛と、ろばは、シャベルと、くまででより分けて塩を加えた飼料を食べる。

マタイによる福音書18章22~30節
18:22イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。18:23それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。18:24決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。18:25しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。18:26そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。18:27僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。18:28その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。18:29そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。18:30しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。

聖書に心を傾ける 【忘れる憐れみと赦し】

 イザヤ書で語られる神は、待つ神であり、憐れみ・慈しみ、見守る神である。恵みと守りの中にいるとき、人はそれを自明のこととして数えることはほとんどない。「ああ、なんという幸運なんだ!」と思った瞬間はこれまで何度もあっただろうし、与えられた恵み、守られている実感を味わったことがあり、その度に感謝の心を持ったとしても、やがて忘れてしまう。

人からしてもらった、赦された、与えられたことと、人にした、赦した、与えたこととを比較すれば、圧倒的に恵まれ与えられ赦されたことの方が多いはずである。旅人の祈りは自然に感謝から始まる。

 国王や国家というものに従属するようになった人間は、市民・非市民、自国民・他国民、内側と外側の分け方を基本とし、スタンダード(普通)な国民像を描き、その上に幸・不幸の基準を作り出してしまう。人は幸福を求めて生きているのだから、運が悪いよりも運が良い方が当然、という感覚に慣れながら、全体・国家に依存していく。

 全体の中の相対的な不運・不幸と感じたことの不当性を嘆き、世の中全体を呪ったりもする。“わたしがこんなひどい目に合うのなら世界が滅びてもかまわない!”と社会全体に対する反逆を開始する者もいる。カリスマ的な教祖を中心に、集団によって“悪”なる社会への反逆を試みる、カルトと呼ばれる現象もあった。国家という呪縛から自由になることは難しい。
 イエスが語る「貧しい者」とは、国家や賃金や社会のシステムから遠い人を指していると思われます。
     イエスの「7の70倍赦しなさい」とは、赦す、という美徳に人々を誘っているのでもなく、自分に加えられた“害”に抗議もせず耐え続けるべきだと言っているのでもなく、国家や社会のシステムによる呪縛から自由になることが、造り主であり、赦しの神に向き合うことになる、と語っているように感じます。

先週の出来事                 
武漢から始まった新型インフルエンザウィルス。広範囲に爆発的に広がるパンデミック現象を予測する研究者も、単なるインフルエンザであり騒ぎすぎと指摘する研究者もいる。国とマスコミの騒ぎ方と対応は変。国家総動員法の予行で問われている諸問題を吹き飛ばしたい?

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