獄中者支援について

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 東淀川教会の前任牧師である向井武子牧師に東淀川教会赴任以前から声をかけられ、大阪市都島にある大阪拘置所の死刑囚数名に対して「生きる」ための支援を細々長々と続けてきました。その中の一人西川正勝とは養子縁組をし、元々の本籍を同じくするわたしの親族に迷惑をかけないようにするため現住所に本籍を移し、家族の一人として一生向き合っていく覚悟でした。
 ほとんどの死刑囚が親族家族やかつての知人友人から関係を断たれ、刑務所ではなく拘置所の独房で死刑執行を待つ身となるため、程度の差はあれ「拘禁」による精神的な病を負うことになります。中には日本語すら忘れてしまうこともあります。

 私がそうであったように、殺させない、生きる道に同行しようと支援を志す人はいるのですが、一番大きな課題は『支援者側』にありました。一言で言えば「メサイアコンプレックス」の為せる業です。特にキリスト者に多いのです。この世の闇、世界のどん底に置かれている孤立無援の人に対する救い主(メシア)、理想的な母性としてのマリアになろうとする情熱、願望です。これがかなり「厄介」なのです。
 私が出会った『死刑廃止運動はするが、個別支援はできないしやらない』と断言する人は、このメサイアコンプレックスの為せる業によって疲労困憊させられた人が多かったのです。特に獄中者が男性で、支援者が女性の場合(逆のパターンもあるのでしょうが)に、この問題が多く起こるのです。

 私の場合も、養子縁組で金田となっていた正勝を以前から支援していた(本も出していた)女性の策動(彼女は決して表立っては動きません)により、いきなり本人が私の支援について難癖をつけ、養子縁組み解消を本人に言わせました。「私は死んでも、一緒に罪を償い続けるぞ」と、その要求を撥ね付けましたが、背後にいた彼女が私費で弁護士を雇い、『死刑囚の希望を撥ね付け、心の安寧を乱している』として裁判を起こす旨の通達を弁護士が送りつけてきました。私の正勝への支援が以前からの支援者である彼女の存在と関係を無視しているように感じたのでしょう。裁判にエネルギーを費やす余裕もなく、縁組み解消に同意しました。その正勝もとうとう執行されてしまいました。

 メサイアコンプレックスの問題は、支援者と獄中者が他の誰よりも深いところで、排他的な「一対」の関係を作ろうとしてしまうことです。恋愛感情と同じです。「嫉妬」が動き出します。「依存」させようとします。「愛で支配」しようとします。闇の中の「自我」を救出することで、自分の「自我」を確立しようとする、仏教的な言い方をすると、一種の業(ごう)が深い現象です。複数・多数の支援者により獄中者が「メシア」になってしまう場合もあります。私が最初に支援に加わった山野さんもそのタイプでした。

 死刑判決の報道が流れると、必ず支援申し込みの手紙が獄中の本人に届きます。教会員の「加納さん」もそうでした。向井武子牧師に相談しつつ、私にも何度か支援について相談がありました。が、記事の内容にもあるように、この支援が加納さんの夫婦関係、家庭を壊していく方向に進むと感じられ、そのことを本人に説明しながら獄中者支援の仕方を考え直すように話しました。それ以後、私には相談しなくなり、夫と別居し、ついには名古屋拘置所の近くへ転居してしまい、死刑が執行され、彼女が癌になり、大阪に戻ってきて療養生活になってからも連絡はありませんでした。教会員の一人が彼女のことを心配し訪問するなど心を配っていました。

 獄中者支援の原則は、外の声を中に届け、中の声を外に届けることが中心で、支援は開かれた対話(オープンダイアローグ)の中で互いが生きることを支援し合うことだと思います。支援者みんなが認めた、或いは戦術としての婚姻、縁組みはあると思いますが、閉じた関係、二人だけの関係、獄中結婚は避けるべきだと思っています。

 死者にむち打つことになりはしないかと心配はありますが、たぶん、今頃は神さまのもとで、ふたりが笑い合う身近な関係となり、平安を得ていると信じ祈ります。

「教会員Kさんの獄中者支援」についての中日新聞社記事はメニューからご覧下さい。

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