20201227 東淀川教会礼拝宣教要旨「滅びと再生」

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民数記19章 17〜20節
汚れた者のためには、汚れを清めるために焼いた雌牛の灰の一部を取って器に入れ、その上に湧き水を加える。
次に、身の清い者がヒソプを取ってその水に浸し、天幕、すべての器、そこにいた人々に振りかけ、また、骨、犠牲者、死体、墓に触れた者に振りかける。
身の清い者が、三日目と七日目に汚れた者に振りかけ、七日目にその者を清める。その者は、七日目に自分の衣服を洗い、水で体を洗うと、夕方には清くなる。
しかし、汚れた者が身を清めないなら、その者は会衆の中から絶たれる。主の聖所を汚したからである。その者は、清めの水が振りかけられていないので汚れている。



マルコによる福音書1章 06〜9節
ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、ばったと野蜜を食べていた。
彼はこう宣べ伝えた。「私よりも力のある方が、後から来られる。私は、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
私は水であなたがたに洗礼(バプテスマ)を授けたが、その方は聖霊で洗礼(バプテスマ)をお授けになる。」
その頃、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けられた。

マルコによる福音書1章 13〜15節
イエスは四十日間荒れ野にいて、サタンの試みを受け、また、野獣と共におられた。そして、天使たちがイエスに仕えていた。
ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」と言われた。

宣教要旨 主題「滅びと再生」

 ガリラヤから「イエス」という男が現れた。その頃、自ら汚れて(穢れて)いることを認め、悔い改め清めるための水によるバプテスマを行っているヨハネを訪れ、彼はバプテスマを受けた。
 古くから“穢れ”とは、人の利己的な行い(動物を屠る、男女の営み、その他)であり、快楽であり、伝染するウィルスであり、悪霊であり、怨霊であり、生活の汚れであり、皮膚の垢のように身も心も穢すもの。今日のように科学的な分類(ウィルス、毒物、タブーを犯した罰、等々)に分けることはしなかった。人はときおり身と心を洗い、汚れを洗い流さなければならない生き物だった。生まれたばかりの赤ん坊が出産時の汚れを洗い流して祝福されるように、人も生きるために身についた汚れを洗い清め、祝福された姿に戻る。

 熱心なユダヤ教徒は、安息日や祭りの日の前に、ミクヴェ(ユダヤ教できよめの儀式に使われる水槽)に身体を浸すという古い習慣を守っていた。
 「『バプティゾー』というギリシャ文字は、洪水に飲み込まれる、水の下に入ってしまうことであり、イエスの受けたバプテスマも、“無原罪のイエス”などではなく、穢れた者として自身を死に引き渡す行いだった。身を清めるための一時的な儀式や象徴的行為ではなかった。イエスがその後40日間荒野で試みを受け、野獣とともにいた、とは、長期間何も食べずまったく無防備なまま、生死を神に委ねた行為は、日本における修験者の、生死を山の神に委ねる行為と同じである。

 イエス自身はバプテスマを人に施す行為は行ってはいない。バプテスマのヨハネが攻撃され逮捕されて、その攻撃が自分自身にも向かってくることを覚悟しながら、ひたすら神に用いられる生かされ方へと突入していった。穢れている人々・アムハーレツ、地の民と呼ばれる人々の多くいるガリラヤ地方へと赴き、人々の穢れを直接その身に移し引き受ける行為を為し、神から引き離されている人々を再び神へと取り成すわざを為しつつ、神の国宣教を行っていった。

 コロナ禍の中で自殺志願者が急増している様子。自殺者も行方不明者も増加中。ネットの中で死に方についての会話が広がり、それに起因する犯罪も増加中。2017年に男女9人の遺体が見つかった事件で死刑判決を受けた白石隆浩被告も記憶に新しい。彼自身も当初は自殺願望からネットで仲間を募り、頼ってくる女性たちを利用して自分の自殺を先延ばしできることを発見?してしまい、殺害と遺体処理、金品強奪を繰り返したと思われます。集まってくる人も自分自身も生きる希望は失っているんだから、というのが屠殺行為の自己弁護、いいわけなのでしょう。刹那的なスリルと快感も味わったのでしょう。被告自身の“壊れ方”はまさにネット社会の、生き方も死に方も見えなくなっている「今」を表現していると思われます。死刑制度は白石隆浩氏にとっては、暴走の結末、オトシマエをつけてくれる自殺幇助の役割なのだろうと思います。

先週のできごと
作詞家なかにし礼さん死去、作詞家で作曲家の中村泰士さん死去。世代を超えた大衆歌謡のなかで多くの人々が口ずさみたくなる歌、それぞれの人生を「人生劇場」として、役者として、言葉にしてくれる歌詞とメロディを届けてくれた貴重な人たちが亡くなっていく。赤提灯で、或いは堤防に腰掛けコップ酒片手に歌える歌がなくなっていく。

 

 

 

 

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