20220403 宣教要旨「戦争の大義は作られる」詩篇23:1-6 エゼキエル34:8-10 ヨハネ福音書10:11-15 担当 金田恆孝

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本日の聖書箇所(聖書協会共同訳)

詩編/23 1-6
賛歌。ダビデの詩。主は私の羊飼い。私は乏しいことがない。
主は私を緑の野に伏させ憩いの汀に伴われる。
主は私の魂を生き返らせ 御名にふさわしく、正しい道へと
導かれる。たとえ死の陰の谷を歩むとも 私は災いを恐れない。
あなたは私と共におられ  あなたの鞭と杖が私を慰める。

私を苦しめる者の前で あなたは私に食卓を整えられる。
私の頭に油を注ぎ 私の杯を満たされる。

命あるかぎり 恵みと慈しみが私を追う。
私は主の家に住もう 日の続くかぎり。

エゼキエル書34章 8-10節
私は生きている――主なる神の仰せ。
私の群れは牧者がいないため、略奪に遭い、あらゆる野の獣の
餌食となっているというのに、私の牧者は群れを尋ね求めも
しない。牧者はわが身を養うが、私の群れを養わない。
それゆえ、牧者よ、主の言葉を聞け。主なる神はこう言われる。私は牧者に立ち向かう。私は彼らの手から私の羊の群れを
尋ね求め、彼らに群れを養わせない。牧者は二度とわが身を
養えなくなる。私は彼らの口から私の群れを救い出す。
私の群れが彼らの餌食となることはない。

ヨハネによる福音書10章 11-15節
私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを
見ると、羊を置き去りにして逃げる。
――狼は羊を奪い、また追い散らす。――
彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。
私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、
羊も私を知っている。
それは、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと
同じである。私は羊のために命を捨てる。

宣教の要旨「戦争の大義は作られる」
 “争うことなく奪うことなく戦うことなく”生かされることと生きることがひとつになっている姿が「羊」で描かれます。羊の群れが「主」と仰ぐ神によって緑の野に守られ伏し、憩いの汀へと導かれます。(詩篇23) 先ほどご一緒に歌いました②編41番「主は我が飼い主」は長い間、キリスト教世界で、日本で、歌い継がれてきた讃美歌でしょう。映画「戦場のメリークリスマス」の中でも歌われていました。

 かつてフィリピンで、一般家庭に置かれている礼拝の対象としての「子どものイエス像」セントニーニョに出会いました。スペインの支配に対して激しく抵抗したラプ・ラプ等のちからを削ぐために子どものイエスを教えた、というのが有力な説ですが、フィリピンで出会った人たちの“飾らない笑顔” “屈託のない柔らかさ”の象徴だと感じました。

 聖書に戻ります。イスラエルの指導者たちは国力拡大に明け暮れ、武器を持たない羊・民たちを守らず導かず、争いを起こし、他国の捕囚となるままにしたゆえ、主が新たな牧者となられる(新たな牧者・メシアを立てる)。(エゼ34章)

 日本は敗戦を機に、二度と戦争を引き起こさないための憲法を手にした。前文が憲法全体を規定しています。
 …われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する…われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する…
 戦争の放棄を宣言する憲法9条は「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(イザヤ書2章4ー5節)決意にそのまま重なります。現在のこの国の第一政治課題は、如何なる大義が作られようと、「戦争に加担しないために今何が必要か」であるべきです。

 2022年の現在、世界は約0.1㎛サイズのウィルス旋風の続く中、ロシアがウクライナに侵攻し今も戦闘が続いている。日本の指導者たちが憲法と非戦の誓いを心新たに守り、平和のために停戦・終戦を呼びかけるべきでしょうが、逆の方向(憲法改正 沖縄の軍備増強)が目論まれている現実があります。

 武器も力も何の権限ももたないイエスが、主なる神に羊たちの牧者として立てられた。復活し、再びガリラヤから歩み始めたイエスは、今も戦争遂行者たちから羊を守るために命を捨て続けておられると思います。
 日本が「一億火の玉」の呼びかけで戦争に突入していったときの心理誘導は、陸軍大将東条英機の、後ろに下がることも逃げることも許さないメッセージに象徴される。『恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門の面目を思ひ、愈々(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ』。

恥も辱めも汚名も罵声も恫喝も放屁で逃げましょう。「正義の戦争」「名誉の戦死」など大義・正義には気をつけましょう。        

 この戦争で今も命を奪われている人々の傍らにイエスが立っておられることを信じ、えげつない惨禍に抗議しつつ、復活の主イエスと共に歩みたい。

先週の出来事

○国連人権高等弁務官事務所がロシアによるウクライナ侵攻による死者8000名近く。負傷者17800名と発表。
「東淀川教会」として被害者支援のため、日本キリスト教協議会を通して本日までの集計分25000円を送金しました。

 

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