20220417 宣教要旨「飼育からの脱却」出エジプト14:10ー15 マルコ福音書16:12ー19 担当 金田恆孝

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讃美歌
0.575 球根の中には  1.90 ここも神の御国なれば  1.320 主よ御もとに近づかん  0.38グローリア
希望者受領の聖餐式

本日の聖書箇所(聖書協会共同訳)
出エジプト記14章 10-15節
 ファラオが近づいて来た。イスラエルの人々が目を上げると、エジプト人が彼らの背後に迫っていた。イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫んだ。そして、彼らはモーセに言った。「エジプトに墓がないから、荒れ野で死なせるために私たちを連れ出したのですか。私たちをエジプトから導き出すとは、一体何ということをしてくれたのですか。私たちはエジプトであなたにこう言ったではありませんか。『放っておいてください。私たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりはエジプト人に仕えるほうがましです。』」そこで、モーセは民に言った。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは今エジプト人を見ているが、もはやとこしえに見ることはない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは静かにしていなさい。」主はモーセに言われた。「なぜ私に向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に出発するように告げなさい。

  マルコによる福音書16章 12節-19節
 その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿でご自身を現された。この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。その後、十一人が食事の席に着いているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼(バプテスマ)を受ける者は救われるが、信じない者は罪に定められる。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らは私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも、決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右に座られた。

宣教の要旨「飼育からの脱却」 
 王による食料や富の配分に「飼育」され「奴隷」となっていたエジプトにおけるイスラエルの民。モーセの導きでいざ脱出の際に「何の保証もない荒野で野垂れ死にさせる気か!放っておいてくれ!奴隷のままでも睡眠と食事が保証されているエジプトがまだマシだ!」などと叫びパニック状態になった。
 この、豊かな「飼育」(奴隷)状態から脱却を迫られ混乱状態を起こした『出エジプト』が、現代社会の「今」及び近未来につながる現状と重なっているというのが本日の主要なテーマです。
 本日は復活を記念するイースター礼拝です。「復活」をめぐる二つのイメージ、それが本日二つ目のテーマです。ローマ帝国とヘロデ傀儡政権と神殿支配のもとで、イエスを救世主・メシアとし、イエスが苦しむ民衆を救うという運動が湧き起こり、これを弾圧し、反乱分子の代表としてイエスが十字架刑で処刑された。その後イエス復活の証言が相次いだ。一つは、姿は異なるけれど、復活したイエスがガリラヤから新たな神の国運動を開始し、今も歩まれているという証言(復活のイメージ)と、イエスは天に昇り、終末の時に地上に現れ、洗礼を受けたキリスト者を霊の体に復活させる(生ける者と死ねる者とを裁く)という、ふたつの復活イメージです。「信じて洗礼(バプテスマ)を受ける者は救われるが、信じない者は罪に定められる。」は、初期キリスト教セクトによる付加と思われます。イエスの宣教は、選民思想ではなく「すべての人は神の子」だったと信じています。

 聖書の福音に耳を傾ける私たちの日本の現状と「出エジプト」を、乱暴な実験ですが、重ねてみます。江戸時代大凡2千万人。都市のシステム化開始の明治3千万人。大正5千万人。昭和6千万人。平成1億人。2010年1億2300万人を頂点として、ハウス栽培の野菜の如く肥大してきた人間の頭数は減少を開始。人口も後進諸国より先進国、第一次産業の地方より労働人口が集中する都市へ。住宅も自然に合わせたリサイクル前提の木造からコンクリートビルへ。便利と効率第一主義の居住空間は電動の籠による高層空間、アレルギー対策、感染予防空間となり、都市そのものがライフラインに守られた禁煙前提の病院エリア化しつつある。そんな社会を現在生物未満のウィルスが跋扈し、素顔で徘徊していた人々の姿が、いつの間にかマスク姿へと変わり、手洗い消毒マスク装着が「正しい身だしなみ」になりつつある。
 貧困格差、正規雇用・非正規雇用の格差、身体と頭脳の「発達」の格差により、社会的強者・弱者の格差が大きくなり、弱者の「医療・福祉」への効率的囲い込みが急速に進んでいる。電力の確保と、核兵器製造を視野に入れた原発促進論が隆起しつつある。自殺率は2000~2010年の年3万人からやや下がったが、20歳~30歳代の死亡原因第一位は自殺。自殺の凡そ7割が男性。年齢を超えて広義の引きこもり百万人の75%は男性。核兵器を匂わせウクライナの戦争も続く。「男たち」はますます弱くなっていると感じられる。世界の難民数は20世紀末の4千万人から2022年の現在は8千万人という数字もある。

 男性原理に支えられている「都市」とは逆に、天照信仰=母神崇拝がこの八島の民の、意識の下部構造(根底)にあると思われる。閉塞した時代を切り開くのはいつの世も「母」であり「女」だと思う。美しい縄文土器からも太母のメッセージが響く。 昨今、老いた母による娘殺し、娘による老いた母殺し、母による子殺しなどの事件が目立ち、気になる。太母・母神が急激に衰え、窒息しかかっているのでは、と感じる。意識の上部構造、首から上の「頭」「合理的思考」を基礎とした「都市」国家による安全便利な飼育からの脱出、開放の道はどこにあるのか、こそが今の主要なテーマだと感じる。

「いのち」は何によって守られるか。「手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも、決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」とは、「いのち」は神与え神取り上げる神のものであり、それまでは決して死ぬことはない、の別表現だと思われます。
 復活のイエスに十字架を負わせ続けている私たちですが、その十字架を負い、今も復活し歩み続けるイエスやマグダラのマリアや仲間たちが、新たな光を指し示してくれることを願い続けたい。

先週の出来事
○鳥インフルエンザで大型鳥エミューの大量殺処分のニュース。養鶏や養豚など、ワクチン接種をして消毒を徹底した建物内の動物養殖が、雑菌やウィルスに弱い動物を育てているとしか思えない。人も動物も、自然の中で「放し飼い」されたほうが免疫力が高まるのではないだろうか。素人考えだけれど。

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