東淀川教会20180422礼拝 出エ2:11-15マルコ3:7-12 主題「群衆の無責任さと怖さ」司式:金田恆孝

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礼拝worship
前奏prelude~招詞invitation~讃美hymn~主の祈りLord’s Prayer~使徒信条Apostles Creed ~交唱alternately Pray~Bible~讃美hymn~Message~讃美hymn~
聖餐式Holy communion~Thanks hymn~献金 donation~頌栄doxology~祝祷Benediction

4月の聖句(招詞invitation)
イエス・キリストは言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」ヨハネ20:21
Jesus therefore said to them again, Peace be unto you: as the Father hath sent me, even so send I you.

旧約聖書出エジプト記2章11~15節
モーセが成長して後、ある日のこと、同胞の所に出て行って、そのはげしい労役を見た。彼はひとりのエジプトびとが、同胞のひとりであるヘブルびとを打つのを見たので、 左右を見まわし、人のいないのを見て、そのエジプトびとを打ち殺し、これを砂の中に隠した。
次の日また出て行って、ふたりのヘブルびとが互に争っているのを見、悪い方の男に言った、「あなたはなぜ、あなたの友を打つのですか」。彼は言った、「だれがあなたを立てて、われわれのつかさ、また裁判人としたのですか。エジプトびとを殺したように、あなたはわたしを殺そうと思うのですか」。モーセは恐れた。そしてあの事がきっと知れたのだと思った。 パロはこの事を聞いて、モーセを殺そうとした。
しかしモーセはパロの前をのがれて、ミデヤンの地に行き、井戸のかたわらに座していた。

新約聖書 マルコ福音書3章7-12節
それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。
イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。
また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、「あなたこそ神の子です」と言った。
イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた。

応唱 我らの祈り(Our pray)
(司会者)
全ての始まりΑアルファであり 終わりΩオメガであり 唯一onlyであり 全てallであり 今の主であり永遠の主であり 神の息から始まり神に帰る「いのち」の主であり
全ての闇を照らす まことの光である神さま
(会衆)
『聖なる 聖なる 聖なる主よ』 ×3回 (holy)

(司会者)
聖母マリアを通して我らに与えられた救い主キリスト・イエス その十字架の元に集うことができたことを感謝致します
(会衆)
『主の恩寵(おんちょう)に感謝』×3回 (grace)

(司会者)
私は「言葉」と「思い」と「行い」によって多くの罪を犯し 更に心を頑なにし 傲慢であったこと そして 自分自身を愛する如く 隣人を愛せなかったことを告白致します
(会衆)
『我が罪を赦し給え』×3 (forgive my sins)

(司会者)
主の求める生け贄は打ち砕かれたこころ 主は悔い改め 帰ってきた放蕩息子を受け入れ あなたの御国を思い出した盗賊を捨てられず 罪を告白した者を友とし
汚れた心を洗い 新しい霊を注いでくださいました 主のあわれみに感謝します
(会衆)
『主よあわれみ給え キリストよ あわれみ給え』×3回(Mercy)

(司会者)
いと高きところに栄光神にあれ 地にある神の民に平和あれ 我らの主 天にいます主 全能の父なる神よ  神の一人子 救い主キリスト・イエスよ
神の御ちからであり 神の息である聖霊よ あなたを崇め あなたに感謝し 讃美します
(会衆)
『グローリア グローリア グローリア』 (gloria)×3回 Amen Amen Amen

宣教題「群衆の無責任さと怖さ・集団のルシファー効果」
「ルシファー効果」とは、『es』という映画(普通の人が囚人側と看守側に分かれて二週間を過ごすという実験)にもなった「スタンフォード監獄実験」を行ったアメリカの心理学者「フィリップ・ジンバルド」が提唱した概念で、どんな人間でも周囲の同調圧力によって善人から悪人に変わってしまう可能性を孕んでいるというもの。

人間には「善と悪」という対極した2つの面が、「陰と陽」の関係のように刻み込まれているといわれる。善良な人が悪人(怪物)に変貌することはとても簡単で、また悪人が善良な人(英雄)に変貌することも可能である。人は、素質に関わりなく、おかれている状況や、環境、集団心理によって簡単に善人から悪人へと変貌するこのメカニズムに「ルシファー効果」という言葉が名づけられた。ルシファーとは、旧約聖書「イザヤ書」14章12節にあらわれる「輝く者が天より墜ちた」という比喩表現に端を発し(これはもともと、イスラエルを攻撃するバビロニア王、アッシリア王について怒りを込めて表現したもの)、キリスト教の教父たちの時代には、神に創造された者が堕ちて悪魔となることを示すものと解釈され、サタンと結託して神に反逆を企てる堕天使、「悪魔」の名前として用いられるようになったもの。

人は集団の中で「大勢の中の一人」という匿名性が保証されている・責任が分散されているといった状態におかれると、自己規制意識が低下し、『没個性化』が生じる。その結果、情緒的・衝動的・非合理的行動が現われ、また周囲の人の行動に感染しやすくなり、道徳性が低下し、暗示にかかりやすくなり、思考が単純になり、感情的な動揺が激しくなり、大きな力を持っているという錯覚に陥り、集団として熱狂し暴走しやすくなる。ぴんとこなくっても、戦時下の日本や、統一協会、オウム真理教などを思い浮かべただけでも了解しやすいことがら。

エジプトで奴隷状態だったヘブライ人への虐待を目撃したモーセは、悪辣なエジプト人をこっそり殺してしまうが、後日、ヘブライ人同士の喧嘩をいさめようと仲裁に入るが、「同じヘブライ人でありながら、エジプト人を殺したように俺を殺すのか?」と逆ギレされ、かつ、エジプト王に密告されて「逃亡者」となった。

イエスのもとに、エルサレムから、あちこちからあらゆる病気や障害をもっている人々が続々と集まってきた。ひとり一人と向かい合って癒やしていたイエスに対し、個々の人ではなく、群衆が押し寄せる。「けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで「あなたこそ神の子です」と言った」とありますが、イエスについての神の子という吹聴は更に多くの群衆を招き、「イエスよ、この群衆にエネルギーを奪われ、押しつぶされよ!」というメッセージとなる。たとえひとり一人が病気や障害を抱えていたとしても、群衆化してしまった群の怖さは計り知れない。イエスは沖に浮かべた小舟から語りかけるなどの距離を保った。群衆との、この距離の保ち方は非常に重要で、一歩間違えると取り返しの付かない事態を招くことになりやすい。主イエスの「間の取り方」に学びたい。

礼拝終了

先週の出来事
○先週の出来事
◎ハラスメントというカタカナ語が巷に溢れている。セクハラ、パワハラ、モラハラ、マタハラ、ドクハラ、スモハラ、ジェンハラ、アカハラ、… が、グループで個人を虐めるグループハラスメントがあまり叫ばれない。「いじめ」で済まされてしまう。こっちの方が、大人でも子どもでも深刻な現実なのに。グループ・ハラスメント、「グルハラ」を浸透させたい、と思う。

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