東淀川教会20180429礼拝 出エ9:22-24マルコ3:14-19 主題「覚醒させる雷の声」司式:金田恆孝

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礼拝worship
前奏prelude~招詞invitation~讃美hymn~主の祈りLord’s Prayer~使徒信条Apostles Creed ~交唱alternately Pray~Bible~讃美hymn~Message~讃美hymn~
聖餐式Holy communion~Thanks hymn~献金 donation~頌栄doxology~祝祷Benediction

4月の聖句(招詞invitation)
イエス・キリストは言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」ヨハネ20:21
Jesus therefore said to them again, Peace be unto you: as the Father hath sent me, even so send I you.

旧約聖書 Exodus出エジプト記9章22-24
主はモーセに言われた、「あなたの手を天にむかってさし伸べ、エジプトの全国にわたって、エジプトの地にいる人と獣と畑のすべての青物の上に雹を降らせなさい」。
モーセが天にむかってつえをさし伸べると、主は雷と雹をおくられ、火は地にむかって、はせ下った。こうして主は、雹をエジプトの地に降らされた。そして雹が降り、雹の間に火がひらめき渡った。雹は恐ろしく大きく、エジプト全国には、国をなしてこのかた、かつてないものであった。

新約聖書 Markマルコ福音書3章14-19
そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。こうして、この十二人をお立てになった。そしてシモンにペテロという名をつけ、またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。

宣教題「覚醒させる雷の声」

エジプトで奴隷状態でありながら、「支配と服従」が長く続き、物質的な豊かさにあまえ、奴隷である自分たちを変えようとしなかったヘブライ人の彼らにモーセが遣わされた。
「モーセが天にむかってつえをさし伸べると、主は雷と雹をおくられ、火は地にむかって、はせ下った。こうして主は、雹をエジプトの地に降らされた。そして雹が降り、雹の間に火がひらめき渡った。雹は恐ろしく大きく、エジプト全国には、国をなしてこのかた、かつてないものであった」と。雷と雹はまさに「まどろみの煉獄」の中にいる彼らに「衝撃と覚醒」をもたらすものだったと思われます。

イエスが、中心的に一緒に働く仲間を募った場面です。ギリシャ語でペテロ、ヘブライ語でシモンをアラム語でケファ(岩)と呼んだ、とあります。神に向かって岩の上に立つ姿勢、或は、自分たちの働きを、さまよう人々を支える「岩」で表現し、弟子たちに伝えたとも感じられます。
更に、ヤコブと兄弟のヨハネをボアネルゲ、雷の子らと呼ばれた、とあります。雷、雷鳴は、神からの大声、というイメージがありました。地上の岩をも震撼させ、人々を覚醒させる激しいパワーを示していると思われます。

イエスが、「悔い改めよ、神の国は近づいた」と語るとき、神の国の接近とは、例えば「夜明け」のような、穏やかな希望に満ちたイメージではなく、むしろ、雷のような、圧倒的な、岩を砕くような恐ろしい力が地上に落ちて鳴り響く、すべての被造物が震撼し覚醒するようなイメージで語られたのではなかったか。だから、大きな災難を覚悟しなければならない「岩・雷」だったのではないか。

現代日本社会もまさに「まどろみの煉獄」のまっただ中と表現されていいと思われる。自分たち自身が変わろうとしない、変えようとしない民に向かって雷や雹が雷鳴とともに下ってくるとき、「変わろうとしない」我々であることそれ自体を「悔い改め」なければならない、という「今の神からのメッセージ」をイエスから受け取りたい。

先週の出来事
◎北朝鮮と韓国の軍事境界線を、両代表が手を取り合って双方向に超えた。単なる政治的なパフォーマンスに止まらず、双方の人々が自由に往来し、境界線が単なる記念物になるという「瓢箪から駒」が実現して欲しいと祈る。

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